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 何気無く目を向けた窓の外に、青く空が見える。青とは言ってもそれは薄く、白が強いのは、外壁が大気には成り得ない所為だろう。力強い陽光は反射して外壁を光らせ、照り返す陽に宇宙の青は遮られている。隣接する低い緑に縁取られた水溜りの方が深い色をしていて、見えている姿など本来の姿を表しはしないものだな、と思って不意に笑みが込み上げた。
 月に一度、所属する治安維持組織の会合の為にこのコロニーを訪れる。前身があったとはいえ、一度解体された組織は、時勢の変化もあってその機能を継承するのは困難で、学びながら模索し、それを気取られぬように何食わぬ顔をしながら運営を続けている。体制を支持し、治安を維持する組織として何をどのように為すべきか。その基調をなす命題さえも探るように、毎月顔を合わせて報告と討議を重ねる。会議、とでも呼ぶのであろうこれにも漸く慣れてきた。目を向けた空に惹きつけられるようにして感慨に耽る。
「エルスマン部局長」
 間近から掛けられた声に驚いて振り返ると、穏やかな微笑みが見えた。
「アマルフィ局長!」
 慌てて姿勢を正し、礼を執る。
「よしてくれ、見掛けて声をかけただけなんだ」
 失笑に見える表情に戸惑いながらも、緩々と礼を解き、僅かに笑みを返した。隣に並ぶその人、ユーリ・アマルフィの姿に身体を固くする。
「……仕事は順調かな」
「ええ、まぁ……そこそこ」
 ありきたりな質問に無難な返答をして、既に窓の外に移ったユーリの視線を追った。
「若い君達に、こんな重責を担わせてしまって、申し訳ない」
 言って、僅かに頭を下げるユーリを振り返り、ディアッカは慌てて両手を胸の前で振る。
「いや、とんでもない! 光栄ですよ、そんな」
 そして、肩を落として呟いた。
「俺なんか、銃殺刑になっててもおかしくなかったのに」
「それを言うなら、私も同じだ」
 驚いて見据えた顔には悲しげな笑みが浮かぶ。僅かに息を吐いてユーリは続けた。
「再び核を持ち込んで、被害を一層大きなものにしてしまった。……私も戦犯と言われても仕方ない、と思っているよ」
「そんな……。いや、でも!」
 でも……
 二の句が継げなかった。
 彼の開発したニュートロンジャマーキャンセラーのお蔭でエネルギー問題の暫定的な解消に目処がついたのだし、それによって復興だって格段の速度で進んだ筈だ。そう思うと同時に、目の当たりにした惨劇が甦る。
 殲滅といえる程の破壊力や後に与える影響は、核が使えなかった頃の比ではなかった。体験として知る身としては、それを否定は出来ない。そもそも、二度の大戦の発端は核であるし、ジャミングを決行したのだって、その無力化を図り、戦火の拡大を防ぐためだった筈だ。それを思えば、彼の言も事実ではあるのだ。
 転げ落ちるように、より強力でより凶悪な力に引かれていった。その狂った世界の記憶は未だ思いを乱す。
「確かに有益な面もあっただろう。けれども、それによって戦火も被害も拡がったのは事実だ。是非を問われる責はある」
「それは……戦争の早期終結のために必要だったんじゃないですか」
「私は、そうは思っていないよ」
 自分の心を見透かしたようなユーリの言葉を否定したくて畳み掛け、更に否定で畳み掛けられて、ディアッカは戸惑いの色を刷いた瞳でユーリを見返した。依然、窓の外に投げられた視線は、その表情を読み取られまいと固く踏み止まるかのように硬直している。
「当初は私も、より大きな力をもってすれば、あの戦いを早期終結に導けると思っていた。だからこそ開発を急いだのだし……
 けれど、どうだ。この技術の伝播は予想よりずっと早かった。情報を故意に漏らした者がいる、と考えるのが妥当な程……あれは、すぐに私達だけの技術ではなくなった」
 ユーリの横顔は、硬い表情をしていた。それは絶望にも見える。
 確かに、地球軍のそれは別途に研究されたもののようには見えなかった。決定打として用いる筈だった技術が身内によって広められた事実は、絶望以外の何ものでもないだろう。
「それがどういう結果になったかは、君の方がよく知っているだろう。早期終結の目的は達したかもしれない。だが、それはより凄惨な結果を齎した。核は再び撃たれ、半ば潰し合い、甚大な被害を双方が被った。
 私は後悔しているよ、エルスマン部局長。あれは、そうならないよう開発した筈のものだったのだから。これでは、核が使えないまま、後の人的資源を補填しつつ長引かせた方が、まだましだったのではないだろうか。そうすればこんな絶望的な荒廃はなかった、そう思うのだよ」
 言ってユーリは目を伏せた。
 聞きながらディアッカは眉根を寄せ、面伏せる。絶望的な荒廃は、核のみによって引き起こされたのではない。新しい技術が開発されても、核が形を変えて継続的に用いられる点で未だ脅威であるとはいえ、それだけではない、寧ろ他の技術による破壊の方が損害は大きかったという体感は間違ってはいないだろう。ディアッカは反論の口を開く。
「でも、結局、人は核以外の破壊兵器を開発した、それも殲滅が目的の。だから、もしかしたら、あれで地球は壊滅していたかもしれないし、核が使えたからってそれの所為だけには出来ないんじゃないですか」
 決戦の火蓋を切ったのは核よりも衛星兵器だったのだ。最終的には、人の残虐性がより強力な兵器を求め、作り出し、使用した結果に思えた。
 しかし、罪を負うと思い定めたユーリの瞳は硬く一点を見据えて凝り固まる。
「それでも、やはり切欠は核だ。エネルギーの箍を外してしまったのは核なのだから。その経済性と持続性故にそれは魅力的だ。ハイパーデュートリオンなどと姑息な手段を使って、その力に未だ頼る。長時間の稼働に耐える軍備は、より優位に事を運ぶ為に有用だろう。事態に収拾をつけたのは結局、核を動力に使った彼等だ」
「だったら、結果的には良かったんじゃないですか? 俺達だけじゃレクイエムは止められなかった。核がなければあいつ等はそこまで辿り着けなかった。人類は絶滅してたかも。核によって始まったかもしれないけど、核によって終わりもしたんですよ。要は使い方、じゃないですかね」
 ディアッカは息を吐いて、ちらりとユーリを見る。まだ硬い表情のユーリに僅かに苦笑しながら続けた。
「そこは、これからまた考えればいいじゃないですか。こうなっちゃったものはしょうがないし、今、悔いても事実は変わらないし、変えられない……
 というか、それはもう俺達の仕事じゃないですよ。軍が考えることでしょう。あいつ等だって現場を知ってるんだし、やらなきゃならないことは分かってるはずです。アスランもいるし、イザークなら上手いことやりますよ。だから俺達は、また報復を叫んでナチュラルを滅ぼそう、なんてヤツが出ないように、抑えになる。あいつ等が安心して世界を見ていられるように、国内の治安は任される。それが俺等の役目かな、て思ってます」
 極まり悪く窓の外へ投げた視線の先に緑が映る。光を受けようと目いっぱいに広げられた葉が、水溜りと偽物の空の間に帯を作り横たわっている。ぼんやりと緑を眺めながら、どこか、その帯の一角に整然と並ぶ墓標の中、遺品を埋めた友の記憶の証を思った。
 ――あいつ等ならやってくれる。お前もそう思うよな? ニコル。
 お前ならきっと、出来る、て言うよな。ずっと望んできた、戦わなくても平穏に生活できる世界の実現。お前は、アスランなら出来る、て言うだろ? 俺はイザークならやってくれる、て思うんだ。だから、大丈夫だよな……
 胸の内にそう問えば、ニコルの「大丈夫。できますよ」と朗らかに笑う様が脳裏に蘇る。だよな。と思わず苦笑した。
「君たちは希望なのだな」
 不意に柔らかな声がして、ディアッカはユーリに振り向く。僅かに翳ってはいるが、見るからに人の良さげな優しい笑顔はニコルによく似ている、と思った。
「その措置に意味があることは知っていた。けれど理解したくなかったんだ。都合のいい言葉で、君達に私達の世代が犯した罪の責任を押し付けているようで。
 けれど、こうして共に働く今、君達が望み、作り上げようとする世界こそが希望であり、私達もそれを望むべきなのだ、と感じる。今も君は未来を示した。そうやって前を向ける力が必要だったのだ。罪の在処を定め、罪をどのように贖うか、という観点に立ってしまう私達ではなく、これからをどう生きたいか、を望める君達の力が。断罪より代償を求めたあの裁決、今は、解る気がするよ、エルスマン部局長。私達には未来を創る希望が必要だったのだ」
 ユーリの述べたその思考は自分には無い視点で、ディアッカは大いに戸惑った。理解するには時間が必要だろう。
「罪とか、あんまり考えたことないんで……誰が悪いとか誰かの所為とか分からないですけど、そもそも日常を脅かされたから戦ってただけで、みんな普通の生活を守りたかっただけなんですよ。だから、運良く生き残った俺達は、散っていった奴等の分までその思いを継いでいかないといけないな、て……あっ、すみません!」
 暗にニコルのことを言っているように聞こえると気付いて、ディアッカは勢いよく頭を下げた。当に彼を思っていたのだから仕方ないが、自分が何を思って話しているか、ユーリにはすっかりお見通しだろう、傷に触れるような真似をしたと感じて自らを恥じる。ユーリに笑顔を向けられているのが居たたまれなかった。
「いや、そう思ってくれているなら、嬉しい。あの子もそうだろう」
 小さく降ってきた言葉にディアッカは少し驚いてユーリの表情を窺う。こちらを向いてはいなかったユーリの視線は窓の外に投げられて、それを追っていけば緑の帯に行きついた。感情の発露を抑えるようにじっと見据えるユーリに、それを刺激せぬよう追った視線をそのまま留める。
「私も、あの子に恥じぬ生き方をしなくてはな」
 僅かに震える語調にそっと頷いて、水溜りの向こうの緑を眺めた。