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「アエカおにいさま、きょうはおやすみ?」
食卓でレイアが瞳を輝かせて聞いてくる。
「違うよ。今日は本部へ行って、それからモルゲンレーテだから、少し遅くなるかもしれないね」
朝食を摂る手を止めて、酷くがっかりした顔をする。
「えぇ、くんれん、きのうでおしまいって」
「つぎのひは、きゅうかじゃないんですか?」
カガセも酷く残念そうな声で会話に入ってくる。
「うん、普通はね。今回はちょっと急ぐんだ、報告も遅れちゃったし」
少し後ろめたくて、俯いて答える。
僕はオーブ国防空軍に所属している。本来こんな風に軍に入隊する必要は無いけど、僕はそうするつもりで母に内緒で士官学校に通った。年少過ぎて入学は出来なかったけど、特別に聴講を許して貰って、学生同様に通っていた。通い始めた時は9才だった。
それまではずっと一般的な教育を受けてきた。普通に学校に通い、子供らしい生活を送っていた。だから、氏族の子息として受けているべき教育を受けていない。本来なら軍事訓練もある程度受けているべきなのだけど、それを全く受けていなかった。だから、そういうことも考慮されたのかもしれない。
学校は一年半で終えて志願した。
こんな子供でも許可されたのは、教育隊やモルゲンレーテにちょくちょく出入りしていたからだろう、済し崩し的に押し切った感じではある。
今回の訓練は新しい分野のものだ。父が提案したシステムで、簡単に言うと、制御系を乗っ取って制圧し降伏させることを目的とした戦術だ。出来るだけ血を流さない方法で。そういうことだと思う。
だから、実のところこの訓練はかなり面倒だ。
乗っ取るまでは余程の事がなければプログラムがやってくれる。問題はその後。
制御系を掌握するということは、こちらが敵機を動かすということだ。制圧に気を取られれば航行が疎かになり、制御に気を取られれば本来の目的を果たせない。上手く追い詰めるには少々危険な操作も必要になるが、それにばかり目を向けると、より危険な飛行へ追いやることになり、うっかり墜としてしまったりする。
本末転倒である。
墜としてはいけない。それが最も重要な目的で、最も肝に銘じなければならず、最も思いに留めにくい事柄だった。
そもそも、防衛軍とはいえ軍なのだ。撃墜は功績と捉えられて然るべきだろう。その意識を変えるのは容易ではない。
ゲームではない。仮想ではない。生身の人間が乗っているのだ。分かってはいても常に思いに留めるのは難しい。
言いたい事、やりたい事は理解出来るけど、それを周知徹底させるには相当な時間がかかるだろう。
多分……パターンを細分化して、自動制御を拡大する方が確実なんだ。
そんな事を考えながら書いた報告書は、我ながら出来が悪い。
「あにうえ、ちちうえは?ぼくたちさっき、ははうえをおみおくりしたんだけど、ちちうえをみてなくて」
カガセの真っ直ぐな声に目を上げる。
「そういえば、会ってないな。休みじゃないはずだから、起きてていい時間だけど……マーナさん、何か聞いてますか?」
給仕をしながら双子の世話を焼く使用人に目を向けると、手を止めずに答えた。
「昨夜は遅かったようなので、起こさないように、と姫様が」
「え、でも、そろそろ起こした方が」
「大丈夫でございますよ、あの方なら」
余裕の滲む笑顔で微笑まれて言葉を失う。
「あ、おとうさま!」
突然声を上げてレイアが椅子を飛び降りた。駆けて行く先に、まだ少し眠そうな父が見えた。
目の前まで駆けて両手を広げる。
「おとうさま、おはよ!」
流れるような動作で抱き上げられて、レイアは嬉しそうに笑った。
「ああ。おはよう」
父は柔らかく笑んでカガセに近寄ると、そっとカガセの頭を撫でる。
「おはようございます、ちちうえ」
「おはよう。カガセは行儀が良いな。良い子だ」
そう言って父はカガセの額に口付る。笑顔を向けられてカガセは照れくさそうに笑った。
その様子を何気なく見詰めてしまい、ふと目を上げた父と目が合って我に帰る。
「何か言いたそうだな、アエカ」
「いえ、……あ、おはようございます……」
投げられた言葉を受け止め損ねた気がして、少し悔しい。慌てて返した言葉は拗ねたように掠れた。
「おはよう」
当然のように手を伸ばし、僕の髪に触れる。
「なっ、父様!僕はもう子供じゃありませんからっ」
咄嗟に頭を振った。
「なんだ、カガセを見て拗ねたくせに。……親にしてみれば、いつまでも子供なんだがな」
そう言って僕の頭に手を置いた。
触れられた所から何か沁みるような感覚に捕らわれる。威嚇の息を吐き毛を逆立てた猫が、撫でられて毛並を戻すかのような感覚……
不覚にも心地良く感じて落ち着いてしまった自分を恥じる。甘えたいと認めているようなものだ。
その羞恥が父への苛立ちに変換される。

何も、知らなかったくせに。人として大事な事を、何も。

あの時だって。喜んでいいことも、嬉しいと表現するその仕方も知らなかったくせに。
だから、言葉を失っただけだった。
五年ほど前になる、母は僕達の所、正確には父の前に慌てた様子でやって来て、酷く嬉しそうに言ったのだ。
「アスラン!私、妊娠した!」
驚いて目を見開いた僕に合わせるように、父は振り向いて母を凝視した。言葉の意味が分からないとでも言うように。
「子供が、出来たんだ」
噛み砕くように、より平易な言葉を選んで母は言った。そのトーンは少し落ちて、窺うような瞳を向けている。
猶、硬直して茫然と目を見張る父を尻目に僕は言った。
「おめでとうございます、母様」
うん、と照れたような笑顔で返事がある。
「僕、兄になるんですね」
僅かに瞳が揺れて、それは父に向けられた。その視線を辿って見た父は依然、茫洋とした表情で母を見据えている。
「……父様?」
「そっ……か……そうだよな、私、嬉しくて、つい……。おまえが嬉しいかどうか、考えてなくて……ごめん。始末する、な」
絞り出すように言って母は踵を返す。駆け出すような勢いで来た道を戻り始めた。
「えっ、母様?!
「あ」
声を上げたのはほぼ同時で、その音に僕は振り返って父をこれ以上ないくらいに激しく睨み付けた。
「父様!」
僕は本当に怖い顔をしていたのだろう。父は怯えたような驚いた顔をして、僕に視線を向けた。
「何故、何も言わないんです!嬉しくないんですか?!
「いや、……」
否定だけを何とか音にして、父は口籠った。そんな様子にまた苛立つ。
「そんなんじゃ伝わらないですよ!」
「あ、ああ……」
戸惑いが前面に見える。こういうことが苦手なのは知っている。事象を整理するのに手一杯なんだろう。けれど。
「貴方が支えてあげないで、どうするんです。今直ぐ追いかけて!早く!」
僕の強い口調に驚いて、それでも彼は駆け出した。
それから何があったかは知らない。戻って来た時には二人共笑顔だった。
どんな経緯で、どんな話をして、どんな収まり方をしたのかは、何も分からない。母は知らなくていいと言う。実際そうなんだろう。
だけど、こんなにもちぐはぐで噛み合わないこの二人が、どうしてこんなに仲良くして居られるのか、不思議ではある。
一体、何が彼等を結びつけているんだろう。
何時の間にか、“大事な事”を習得して弟妹と楽しそうに過ごす彼を、不思議な気分で眺めた。