5

「あれ?アエカじゃない」
背後からの声に振り返る。朗らかに笑うような音が懐かしい。
「キラ!」
思わず駆け寄った。
「どうしたんですか?こんな所で」
「そんなの、決まってるじゃない」
見合わせて、くすりと笑う。
「エリカさんに呼び出されて」
「エリカさんの呼び出し」
同時に言って噴き出した。
「やっぱりね。アエカももう二尉なんだし、入り浸れる程、暇じゃないでしょ?」
「まぁ……そうですね」
開発支援だ運用試験だ、と何かと呼び付けられる身としてはあまり久し振りでもなくて、苦い笑いになった。
「僕も驚いたよ。まさか呼び出されるとはね。僕だって暇じゃないんだけどな」
大仰に溜息を吐いて扉をくぐる。
一緒に受付に顔を出すと、にっこり微笑まれた。
「ソラ二尉、ご苦労様です。そのまま開発棟の方へお通しするように、とのことですので、ただいまご案内を」
そう言いさして受付係が腰を上げようとするので、
「いいですよ、場所なら分かりますから。あ、社の方が一緒じゃないとまずいですか」
と慌てて遮った。受付係は両手をひらひらと振って、一緒に首も横に振った。
「あ、いえ!ソラ二尉なら皆、存じ上げておりますので、大丈夫です、どうぞお進み下さい」
「ありがとう。では、失礼します」
軽く会釈をして受付を離れる。
「なんだ、入り浸ってるんじゃない」
キラが隣でにやりと笑う
「そこまでじゃないですよ。よく呼ばれてるけど」
なんとなく気恥ずかしくて俯いた。そんな僕に意味ありげにキラは笑う。
「ねぇ、あの娘、きみと一緒に歩きたかったんじゃない?」
思いもかけない言葉に思わず振り返る。受付係は此方に向けていたらしい目線を慌 てて逸らして俯いた。
赤い耳が見える。
「それはキラの方じゃない?有名人だし、その制服だし、滅多にないもんね、こんな機会」
僕が睨めつけるように見ると、キラは眉尻を下げてふと笑った。
「……まぁいいや、それで」
溜息混じりに言ったキラは少し呆れた貌をしていた。その意味が図れず僕は黙って前を向いた。
エントランスの端を僅かに折れて中庭を挟む渡り廊下へ出る。まだ高い陽は世界を眩いばかりに輝かせていて、ガラス張りの廊下は光に満ちていた。眩しさに目を細めてキラは唐突に言う。
「それで、あの二人は元気?」
ああ、と溜息に似た声が漏れた。
「元気ですよ」
僕は少しぶっきらぼうに答えた。自分でそう感じたのだから、もっと不機嫌に聞こえただろう。
「そ。うまくやってるんだ」
「相変わらずですよ」
少なからず、うんざりした声になった。嫉妬にも似たその返答の雰囲気に自分で嫌気が差した、というのが本音だが、多分そうは聞こえなかっただろう。
「嫌そうだね、アエカは」
僕を見る柔らかな眼差しは波立つ気持ちを鎮めてしまう。騒ついた感情が恥ずかしくて、顔を背けた。
「別に、そういう訳じゃないですよ」
意に介さぬ口調でキラは言う。
「しばらく会ってないからなぁ。ちゃんと遊びに行ったのって、 カガセが生まれた時だっけ?
……だけど、あの時はびっくりしたな」
何の事かと目を上げると、ちらりと此方に視線をよこして言った。
「だって、非常回線だよ?何かと思うじゃない。そうしたらさ……」
楽しそうに思い出語りを始めた。

慌てて開いたモニターに映ったのはカガリの泣いた顔だった。
「どうしたの?!何かあったの?!
一粒、涙がこぼれる。縋るような瞳で彼女は言った。
「、私……でもアスランが……どうしよう」
そう言うと、ぽろぽろと涙が零れて声が詰まる。コンソールに突いた手の甲が濡れた。
「ちょっと落ち着いてよ。それじゃわかんないよ、どうしたのさ」
どんな悪い出来事だろうか、と思う。けれど、彼女のことだから、実は些細なことかもしれない、と何を聞いても動揺しないように予防線を張る。
見据えたモニターの中で、カガリは深く息を吐いた。指で涙を拭って何とか平静を取り戻す。
「大丈夫?」
「うん……ごめん」
この様子なら些細なことの方だろう、軽く溜息が漏れた。
「こんな回線使って……どんな一大事?」
少し茶化して聞くと、カガリは頬を赤くして視線を逸らす。
「あ、いや……大したことじゃないんだ……」
そうして俯くと恥ずかしそうに言った。
「何やってるんだ私……こんな回線……本当、ごめん」
「ん。それで?話は?」
取り敢えず回線のことは置いて、用件を聞く。放って置いたら回線の話で終わってしまいそうな気がした。ちらりと此方を見遣った瞳は未だ迷っているようだ。
「カガリ?」
「うん……」
促せば躊躇いながら目を上げる。
「私、…………妊娠したんだ」
「え?」
話は予期しない方向へ流れた。理解に数秒を要する。
「え、本当? ……おめでとう!よかったじゃない」
「うん……ありがとう」
一瞬だけ、カガリはちゃんと笑って、すぐに表情を曇らせた。
「でもアスランは、……嬉しくないみたいで……それなら私、産めないな、て」
「えっ!なんで?!なんでそうなるの?アエカは守ったじゃない、その子は」
「状況が違う」
硬い声だった。言いかけた言葉を呑み込んで説明を待つ。
「あの時は独りだったから、私が決めてやり通すだけで良かった。でも、今は……独りではないし、この関係は壊してはいけない、私達が望む未来のために。
だから、あいつが望まないのに、自分の気持ちだけ押し通して、ぎすぎすするのは嫌なんだ。そういうの、周りにすぐ分かるだろ?
私達が上手くやっていくことで、世界の差別が減っていくなら、子供は……あいつが受け入れられるようになってからで」
「カガリ!」
遮るように発せられた声は開かれた扉の向こうから駆け込んでくる。
「探した。 ここに居たのか」
その声の響きに振り向きもせずカガリは目を伏せた。
近付く影がモニターに気付いて軽く目を見張る。やぁ、久しぶり。とキラが言うと、ああ、と曖昧に答えた。
「君、またカガリを泣かせて」
言い募ろうと口を開くと目線で止められる。この手の合図には弱い。反射的に言葉を呑んだ。
「済まない」
俯いて拒絶するように身を硬くするカガリの肩を、アスランは背後からそっと抱く。
「どんな顔をしたらいいか、分からなかった」
髪に口付けて頬を寄せる。
「俺……ちゃんと父親になれるかな……」
カガリの耳元で囁かれた言葉は、キラには滑稽に聞こえた。
「もう父親だろうがっ、この、馬鹿!」
堪らず叫んでカガリは振り返る。途端にまた涙が滲む。睨んだ瞳からぽろぽろと滴が落ちた。
振り返った弾みで解けた腕が、今度はカガリを胸に抱く。
「……そうだな。ごめん。」
慈しむように金の髪を撫でるその手が、強張る拒絶を融かしていく。
「その子は新しい時代を切り拓く子、だな」
カガリは事問いたげに顔を上げた。
「融和の象徴となるんだろう。俺達が望んだ未来を示す者に」
ああ、と僅かな返答がある。少し落胆したような音だった。
「少し可哀相な気もするが……でも楽しみだ」
「アスラン……?」
「どんな経緯にしろ俺達は家族になった。家族が増えることは、喜んでいい事じゃないのか」
「……だって、お前」
さっきは、と言いかけた唇を唇が塞ぐ。半ば呆れて頬杖をついた。
「ごめん」
カガリはまた泣いた。もう此方に見向きもしない。
「あのー?……見せつけるんなら切るよ?!解決ってことでいいよね?」
一際大きな声で呼びかけると、極光の瞳が振り返った。
「ああ。済まない、キラ。迷惑をかけた」
「本当だよ、全く。じゃぁね!」
叩き付ける勢いで電源を落とした。

「全く冗談じゃないよね。そんなのこっちに振るまでもないじゃん。人騒がせにも程がある、っていうんだよ」
そう言いながら、酷く楽しそうなキラの様子に、僕は苦笑した。
母が知らなくていいと言った理由が分かった気がする。……こんな経緯なら知らなくてよかった、と正直思った。
「なら、僕の気持ちも少しは分かってくれるよね」
ちらりと睨めつければ、ふと顔を強張らせる。
「あ、ははは、ご愁傷様。……確かにあの調子じゃ、うんざりするよね」
「僕が言わなかったら、あの人動きもしなかったんだから。どうしてあんな人選んだんだろう、母様は」
苛つく気持ちの理由を投げた。
キラは、ふと視線を青い空に投げて遠く笑う。
「あんな人、だからじゃない?」
その意味を問うように、笑みの先を追った。
「選んだ訳じゃないんだよ。多分ね」
そうして遥か彼方、宇宙の向こうへと視線は薙いでいく。
「遅いと思ったら、こんな所で油売ってたのね?ソラ二尉?」
僕は反射的に声のする方向へ向き直った。
「は!申し訳ありません、シモンズ主任!」
態とらしく敬礼する。
「やめてよ、軍じゃないんだから」
母の友人という意味で“小母さん”と呼べるその人は、可笑しそうに笑って左手をひらひら振った。僕はくすりと笑ってキラに向って言う。
「この人、からかうと可愛いんだ」
ふふ、とキラも笑った。
「そうだね」
「もう!大人をからかうのも好い加減になさい?」
膨れっ面で腕組みをするその人にキラは声をかける。
「お久しぶりです、エリカさん。まさか呼び出されるとは思いませんでしたよ。こちらの組織にも使えるシステムの話、と伺いましたけど」
腕組みを解いてキラに向き直るとエリカさんはいつもの気さくな調子で話し出した。
「ああ、ごめんなさいね、総司令ともあろう方を呼び付けたりして。そこのアエカ様が面白いアイデアを報告書に書いててね」
「え?」
「ちょっと形にしてみたいの」
「ちょ、ちょっと待って下さい、それって今朝提出した……?」
あまりのことに動揺する。あれは出来が悪いのに、何で、しかも当日にこんな所へ回っている?
それに対する返答は実にあっさりしたものだった。
「そうよ?あら、お父様から聞いてない?」
「父様?!
「そう。何か面白い案を持ってそうだから見てくれ、って。というか、訓練中に気付いたんでしょうね。だから今日ここに居る」
知らない所で動いていることが腹立たしい。僕は奥歯を噛み締めた。
「うわ、鬼」
キラは嫌そうに顔を歪める。
「そうかしら。認めてもらえるって良いことじゃなくて?
ああ、余計な時間食っちゃったわ。司令、構築お願いしますね」
「ええ~、やっぱりそうくるのかぁ……」
本来、あらゆる評価や案件について、僕がその経緯や成行きを知るなんて事は無いし、どうこう言える立場でも無いことは分かっているけど、何だか腑に落ちない。
文句を言いながらも酷く楽しそうに歩いて行く二人の後を、重い足取りで追った。