6

「それでね、せんせい!」
カガセの弾む声が聞こえた。熱心に話すやや大きな声は興奮した様子をよく伝えている。
「とぶところも見せてくれたんだよ!」
そのまま進んで行くのが躊躇われて、陰から様子を伺う。
と、レイアが駆け出してきた。
「ぎゅいぃぃぃん!」
その姿がやけに大きく見えて凝視する。白と青に金の装飾の上衣はレイアには未だ大き過ぎて不恰好だ。
「あ、アエカおにいさま!」
流石に見つかったらしい。
「おかえりなさい!見て!おかあさまにかりたの!かっこいいでしょ」
得意気にくるりと回って胸を張る。その肩の後ろからカガセが顔を覗かせた。
「ーーおかえりなさい、あにうえ!……」
紅潮した頬にきらきらと輝かせた瞳でこちらを見据え、何か言いたげにして口籠る。
「うん……ただいま」
何だか入って行くのが躊躇われる雰囲気だった。戸惑いながらカガセの前まで進む。
じっと僕を見上げる双子は、いつもと違う顔をしていた。
何というか……違う世界のものを見るような好奇に羨望のようなものの混じった不思議な瞳でこちらを見つめている。
レイアの妙な服装を鑑みて、僕は上衣を脱いでカガセの肩に掛けた。
驚いて目を見開いて、でもすぐにカガセは満面の笑みを浮かべる。
「ありがとう!わぁ……」
腕を通してやると、何だか感激したように軽く腕を上げて体を見回した。
「先生、一体どうしたんです?この子達は」
奥に腰掛けてゆったりと構え、慈愛に満ちた瞳で双子を見詰めるその人は、僕が学校に通っていた頃から、社会や一般的な知識や勿論勉強も教えてくれている人だ。
「カガリ様が視察にお連れになったようですよ」
ああ、と得心する。
では海か。港まで下りたのだろうか。
「あれ?では母様は……」
ふふ、と笑って先生は僕に目を向けた。
「アエカ様のお小さかった頃の上衣を探しに行かれました。それでもまだカガセ様には大きいでしょうけど」
僕は面食らった。そんなものをとってあるとは思わなかった。
小さかったと言っても10歳にはなっていた筈だから、確かにまだ大きいだろう。けれど、本人は喜ぶに違いない。
「ああ、アエカ。帰っていたのか」
和やかに笑う声が戸口から掛けられる。振り返って目にした母は、白と青の上衣を腕に掛けていた。
「カガセ、それ兄上に借りたのか。良かったな」
うん、と嬉しそうに頷いて襟を握る。その様子を見て一つ頷き、母は腕に掛けた上衣を広げた。
「お兄様が初めて着た軍服だ」
双子から感嘆の声が上がる。
「ちいさーい」
「着てみるといいよ、レイア」
視線が集まる。多分、全員がそれをカガセが着ると思っていたのだろう。僕の提案に不思議そうな顔をした。
それでもレイアは母の上衣を脱いで母に返し、小さい上衣に腕を通す。流石にさっきよりは身体に合っている。
「すごい!ねぇ、さっきあんないしてくれたひとみたい?」
興奮気味にそう言ってくるりと回った。
「母様、それ、貸して下さい」
半ば奪うようにして借りたそれを、僕の上衣と取り替える。
カガセはきょとんとして僕を見返した。
「これを着るのはカガセだよ。次期アスハ家当主はカガセなんだから」
そうして笑うとカガセは首を傾げる。集まった視線がその意味を問うていた。
「とうしゅ、ってなんですか?あにうえ」
その真摯な瞳は暁と極光。4つがこちらを向いている。
「家の代表のことだよ」
見開かれた瞳が驚きを示した。まるで“!”が頭の上に出ているようだ。
「え、でも」
「アエカおにいさまのほうがおおきいのに、どうして?」
レイアは率直だ。カガセは言葉を呑んで懸命に考えている。
「僕は今のこの家の子供ではないから」
「ちちうえ、のことですか?」
「うん……まぁ、そうだね」
僕は少し戸惑いながらカガセを見た。
僕はセイランの子であり続けなければならない。誰がどう思おうと、僕はそう思っている。
だから家を、その責任を担うのは違うと思う。次の時代は本格的に融和を目指すのだろうし、そう期待されて生まれてきたカガセが前面に出るのが正しいのだろう。
だから僕は盾になる。オーブの、イージスに。
「僕は父様に育てられてはいない。彼との関係で親子という認識は薄いんだ、民も、僕も。それに、次の代は融和を目指すんだ。みんながナチュラルとコーディネイターの子だと知っているカガセの方が、旗印には向いている。
だから、次期当主はカガセだ。僕はこの国を、母様を、君を護る。こうして始めからあった世界に戻るのが正しいと思うから、皆を護る盾になる、そう決めたんだ」
双子はきょとんと僕を見上げた。確かに少し難しかっただろう。けれど、変に子供扱いして、きちんと伝えないのは嫌だった。いつか思い返して、ちょっとでも理解してくれたらいいと思う。
「わかりました。ぼく、ちゃんとできるようにがんばる」
見上げてくる暁の瞳は僅かに戸惑いを含んで光は霞み、理解した訳ではないことを示していた。
「アエカおにいさまのおはなし、むずかしくてよくわかんない」
レイアは拗ねたような顔で暗に説明を求める。だけど説明する気は無い。僕は少しだけ笑った。
「今は分からなくていいよ」
すると怒って睨んでくる。
「ぼくがははうえのしごとをうけついで、あにうえがそれをたすけてくれる、てことですよね?」
慌てたようにカガセが口を挟んだ。妹は可愛いらしい、怒らせたって大したことないのに機嫌をとろうとする様が可笑しかった。
「そうだね」
小さな頭を撫でるとカガセはくすぐったそうにして笑う。ふわふわ揺れる髪が子犬のようだ。
それを横目に、腑に落ちない顔で不満そうにレイアは言った。
「じゃぁ、わたしは?わたしはなにをしたらいい?」
「そうだなぁ……」
そう言われてみればレイアに関しては取り立てて未来を思うことはなかった。何が望まれるかより、何を望むかを考えてしまう。兄がいるから尚更、彼女は姫なんだ。
彼女に望むことは、笑顔を向けてくれること、多分それが最大で唯一。
「あ、アエカおにいさまのおてつだいする!わたしもみんなをまもる!」
手を打って満面の笑みで言う。レイアは良い事を思い付いたと思っているらしいけど、それは僕を混乱させた。
「え、でも……レイアは女の子だし……そんな、危ないよ」
「なんで?!おかあさまだっておんなのこだけど、せんそうにいったんでしょ?」
真っ直ぐに勝気な瞳が僕を射る。そう言われると何も言い返せない。女の子がそういう職業を選んではいけない決まりは無い。
けれども、そんな場所に彼女の居場所を作るのは嫌で、何も言えずに顔だけ歪んでいくのが分かった。否定的な、酷い顔をしていただろう。
母は、抑えた声で笑った。
「それを言うのは卑怯だぞ、レイア」
レイアは母を振り返りぷうっと頬を膨らして、僕を睨む。
「わたしだってできるもん!」
面食らった。僕が言ってるのはそういう意味じゃない。母に目を向けると、興味深そうな視線を返された。何も言う気はないらしい。
思わず溜息を吐いた。
「出来るとか出来ないとかじゃないよ。ただ……」
彼等はまだ四歳で、学校にだって上がってないのに、一般的な職業に就く姿なんて想像出来ない。
「なぁに?」
僕を見上げる顔は、ふと表情を緩めて問い返す。それは純粋に知りたいと願う子供の瞳だ。誤魔化したら、また怒るだろう。
「考えられなくて。僕だって、決めたのは学校を卒業する時だったし、レイアにも勉強は必要だと思うし、大体……僕が守るって決めた子が同じ所に立つなんて、それじゃ形無しじゃないか」
少しだけ拗ねた雰囲気になったのを自覚した。恥ずかしくなって俯く。
レイアは目を見開き、思いも寄らなかったことに気付かされた、驚いた、という顔をした。慌てたように手を伸べて僕に触れる。
「ごめんなさい。今はまだそんなこと、よかったんだよね?そんなつもりじゃなかったの。ごめんなさい」
一生懸命なレイアに困ってしまった。僕も、そんなつもりじゃない。
「まだまだ子供だな、アエカも」
「よろしいではありませんか、まだ子供でいらしても。こんなにご立派になられてはいても、成人は迎えておられないのですから」
「そうだったな」
何時の間にか母は、先生の腰掛けている長椅子に腰を下ろしている。
「私などはかえって安心致します。正直に気持ちを伝える事が出来る、それはありのままを出せるということなのですから。家族の中で良い関係が築けている。素晴らしいことです」
先生の落ち着いた声は穏やかに響いた。呼応するように母は緩やかに小さく笑う。
「そういうものかな」
眺めたそれが気まずくて、掴まるようにした手に力を込めてぴったり寄り添うレイアに目を戻した。気遣わしげな瞳が見上げている。
「ん……いいよ。レイアがそう願うならそれで。 楽しみにすることにするよ」
ほっとしたような顔でレイアは笑った。
「おや、どういう風の吹きまわしですか?断固拒否の様相に見えましたのに」
茶化すようにこちらに微笑んで先生は言う。楽しんでいる、そんな風だった。
「将来は他人に決められる事ではありませんから。僕の望みを押し付けたらいけないと思うんです。
それに、レイアが何をしようと僕が守りたいと思うことに変わりはない。どこに行こうと僕が、僕の望みのために動けばいい。その望みに彼女を縛るのは間違っている。違いますか?」
先生の微笑みが優しい色に変わる。す、と下がった視線はレイアに向けられた。
「お兄様は聡明でいらっしゃいますね」
「はい!じまんのおにいさまなの!」
「えっ、うわっ……レイア?」
微笑みを是認と受け取ったレイアは、いつもの調子に戻って僕に抱きつく。力任せなそれに僕はふらついてしまった。窘めるべきなのかもしれないけど、あまりに嬉しそうに笑うのでそんな気も失せてしまう。
「良かったですね、姫様」
「ひめじゃないもん!レイアだもん!!」
くるりと先生を振り返ってレイアは口を尖らした。その様子に一同失笑する。
「何と言いますか……血は争えない、といったところで御座いましょうかね、カガリ様」
くすくす、と僅かに音を立てた先生の笑いに、母はばつが悪そうに顔を背けた。
「うるさいな。 何とでも言え」
「レイアはははうえにそっくりだよね」
レイアに向けられたカガセの言葉が、もう一度穏やかな笑いを巻き起こした。