十三夜

控えめに燈された灯りを辿りながら進む。何を意識しなくても辿り着けるほど慣れた道筋、宵の闇さえそれは彩り。
管弦の音が聞こえる。緩い風が静かなざわめきを伝えている。深く、密かに溜息を吐いた。

「よ、アスラン! 遅かったな」
「お前はいつも遅いんだよ」
「……東宮にもお小言を頂いた……」
どちらからともなく失笑する。集う君は同時期に官職を得た若者達。東宮とも歳が近く、親しい。
「仕事は真面目にこなすくせに、こういうことは駄目だよなぁ」
褐色の肌が闇を映して更に暗く見える。笑う瞳が猫のように光った。
「宴とか、何で苦手なんだ?楽しいじゃないか」
心底不思議そうに琥珀の瞳を向けて覗き込んでくる。零れた金糸が月光に輝く。
「全く。その仏頂面でお上の機嫌を損ねてくれるなよ?」
茶化すことだけは天才的。その褐色を睨んだ。
「ディアッカ……さてはこの後 ?」
「今度は何処の姫だ?」
盛大な溜息を吐いて琥珀が細められる。
「な、何だよ、キラまで!いいじゃないか、愛しい姫の一人や二人。お前等みたいに男色とか言われるよりマシだぜ」
「は?!」
「なっ!一人にしておけ!!
そっちかよ!!と同時に突っ込まれてキラと呼ばれた君はたじろいだ。

「御覧なさいな、カガリ姫。今を時めく君達が何やら楽しげに。今宵も仲のよろしいこと」
「……はい」
くすりと笑われて、カガリと呼ばれた姫はにこりと微笑んだ。そして、胸の内で大きく溜息を吐く。
対の屋から見る姉は明らかにからかわれている。また何か可笑しなことをしでかしたに違いない。お上の催した観月の宴の 管弦の音に誘われて、月明かりの庭を見たのはいいのだけれど……
恥ずかしさに頬が熱くなる。思わず俯いた。
(もう。僕の名前で、あんまり可笑しなこと、しないでよね)

事の始まりは数年前の紅葉狩り。予てより豪快で活発だった姉カガリは、男子の装束を好んで身に着けた。当然、その日も 家人の諌めるのも聞かず、男子の装束を纏い、出掛けてしまった。
それを、どうした巡り会わせか東宮の目に留まり、大納言である父を悩ませるのである。
「……カガリよ、悪い知らせがある」
父のあまりの重い声に勢いよく振り向いて硬直した。
「キラに伺候せよとの命が出た」
「!、良かったな、キラ!すごいな ……て、なんで私に?」
「伺候を命じられたのはお前だ!!
感情を露にした目と大きな声にびくりとなる。常には穏やかな父の激しさに身を縮めた。
「だから日頃から姫らしく、せめて姫の格好を、と言っておいたのにお前は!」
「お父様、どういう……ことですか?」
「先の紅葉狩りに袍を着ておったろうが。そのお前に東宮がお会いになったというではないか」
「東宮?」
記憶を探ってみる。紅葉狩り……
「あ?!まさか、あの、迷子?!
山裾を心許なげに足元さえ覚束ない様子で歩く、身形だけは立派な少年を見かけた。
この身形で供を連れずに山歩きなど考え難い。しかも慣れない足取りに不安げな表情は、はぐれて迷っていますと言っているようなものだった。
堪らず声をかけ、案内してやり、時折目にする美しい葉や木の実、見頃を迎えているだろう植物の話をしながら送ってやったのだった。
と言っても、供の隊列が見えた所で逃げるように帰ってきたのだが。
父の盛大な溜息で我に返る。
「兎に角、金の髪の、と言われたらお前が行くしかなかろうが!」
空気が一瞬で凍った。
「頃合を見て何とかするしかあるまい。それまでは自分の蒔いた種を刈り取るのだな。」

以来、カガリはキラの名を騙って出仕している。
持ち前の元気の良さと物怖じしない性格で何事もなく三年を過ごし、打ち解けてさえいた。
「キラ、東宮が手合わせを望んでおられるようだ」
見れば、立ち上がりこちらを睨む東宮と目があった。
「あー……仕方ないな、行くか」
「お気に入りは辛いねぇ」
立ち上がったカガリをディアッカはまた茶化す。
「全くな。ディアッカも気に入られるように笛でも嗜むといいんだ」
肩を竦め、くすりと笑って踵を返す。その背中にディアッカはち、と舌打ちした。気まずく振り返ると、アスランは放心したようにじっと去って行く背中を見ている。
「どうした?まさか、本当にあいつと何か……?」
「今、何か匂いが……花?」
「匂い?分からなかったな、あいつ、香でも焚いてたのか?」
そういう匂いでは…と言いかけて口籠る。何か、釈然としない気分で夜を眺める。
見事に絡み合う二面の琴箏の調べが月明かりの庭に満ちて、静かなざわめきを消し去っていた。

気も漫ろになる程には長い掛け合いだった。静かなざわめきが戻ってきている。
「俺、そろそろ行くわ」
疎らになった管弦の音にディアッカは声を潜める。
「は?そんなに入れ揚げているのか」
「違ぇよ。見ろ、キラが居ない」
確かに、東宮といた筈が、東宮の傍にも人の群れの中にもいない。
「東宮に捕まって面倒なことにならないうちに消えるわ。じゃあな」
言うと身を翻し、ディアッカは夜陰に紛れた。
こんなことばかり本当に上手い。
胸の内に呟いて、見送るのを諦めた。何となくキラの所在が気になってアスランは足を踏み出す。
そもそもこういう場は苦手なのだ、それは格好の口実だった。
中庭側には居ないようだったので、裏手へ回る。
少し先の階に人の影が見えた。倒れているように見えてどきりとする。駆け寄るとそれはくるりと振り向いた。
「ああ、アスラン……」
「なっ、キラ!大丈夫か?!
慌てて聞けばくすくすと笑う。
一番下の段に腰を下ろし、反るようにして階に寄り掛かっている。
「ちょっと疲れただけだ」
「東宮には……」
「体調が悪くなったと言って退出してきた。実際、ふらふらだったし」
そう言ってまた笑った。
安堵の息を吐いて隣に腰掛けたアスランを見て目を空に戻す。
「全く、私が少し箏が出来ると思って調子に乗り過ぎなんだ、東宮は。あんなに激しく掻き鳴らされたら付いていけない」
「よく付いていってたじゃないか。東宮が君を傍に置きたがる訳が分かった気がするよ」
曖昧に顔を歪めて首を横に振った。
「お蔭でくたくただ。あいつと居たら身が保たない」
その言にアスランはくすりと笑った。東宮は無茶苦茶なところがある、本当にそうかもしれない、と思った。
「という訳で、お前も箏をやれ、アスラン。私が教えてやる」
向けられる悪戯な笑みを複雑な気持ちで受け止めて、胡乱な視線を向ける。
「……俺が苦手なことを知ってて言ってるだろ」
冗談だよ、と返ってきて、アスランを肩を落とした。一頻り笑う。
「綺麗な月だな」
「ああ」
見上げる月は十三夜。美しい月が闇を照らしていた。