「やらせない……!」
ステラは苛烈な瞳でキラを見据える。何時、何処から持ち出したのか、その手には大剣を携え、前へ構えている。
「何時の間に!?」
「邪魔!」
荒い声で鋭く投げ付けて、真っ直ぐ前を見据えたままステラは駆け出す勢いで踏み込む。アスランなど、ないもののように通り越し、そして躊躇無く剣を振って薙いだ。

lacrimoso  / 10ー2

「何……っ」
あまりに迷いのない太刀筋に思わず驚きの声を上げる。脇腹を裂いた刃は胴を断ち切る勢いで深く入っていた。
溢れ出た液体は赤い。まるで人のようだ、とカガリは思った。
瞬間、コマを綴った巻物のような何かが現れる。それはリボンの様に細長く、意思を持つかのように空を舞った。
「走馬灯!では……!」
アスランは思わず声を上げる。
「デスサイズなのか!?何故……!」
息を荒げて剣を支えるステラは答えない。切り裂かれた腹からコマ送りの何かが溢れる。それは家畜を裂いた狂気だったり、誘拐の悪夢だったり、異様な雰囲気の屋敷だったりした。彼が経験した事がそこに記されていて、否応なくその人生を知らしめる。
沢山の子供達、陰湿に笑う大人達、窓の無い暗い部屋で繰り広げられる数々の儀式。カガリの知らない景色が幾つも連なるそれを不思議な気分で見詰めた。一緒に育ったとはいえ、別々の人格なのだ、知らない事があるのは当然だ。けれども、それはこんなに大量にあるものだろうか。それに、視点が少しおかしい気がする……
「ふぅーん、彼処の主宰のレコードも持ってんだ」
がさがさと音をたてて枝の間から降り立った影はロングコートを翻して歩み寄る。手元の書類に目を落とし、それを捲りながら眺めた。
「ええと、ここは三人で、と。君が二人分で、もう一人は?……」
影は顔を上げてぐるりと辺りを見回す。その深紅の瞳がちらりとカガリを見た。
「あ~ぁ、そこに居たの」
そして間近の悪魔に視線を送って、大きな溜息を吐く。
「ったく、何なんだよここは。なんで悪魔が居るんだよ、超感じ悪いんですけど!」
本当に嫌そうな顔をして書類を持った手をだらりと下げた。
「ていうか、二人分持ってるそっちの子も悪魔の臭いがするんだけど。マジで、すげーヤな感じ」
胡乱な瞳で見回して未だ大剣を支えるステラに目を留める。僅かに微笑んで、その手に手を添えて剣を引き抜いた。キラの膝ががくりと折れる。
「お疲れ。もういいよ、ステラ」
「……シン」
ほっとしたように柔らかく微笑んで、ステラは剣から手を放した。
死神は走馬灯を手に取って眺める。
「何だよ、これ。酷いな」
それは主宰の走馬灯だった。
残虐の限りを尽くすとはこういう事だ、それ以外の何物でもないと思える程おぞましい記録に目を逸らす。
「はい、回収!」
一人分を切り取る。
キラは残るレコードを茫然と見据えていた。流れ出る液体が体力を奪う。
まるで、憑き物が落ちたかのように大人しく、狂気の消えた顔は蒼白で怯えたような目をしていた。
傷を庇っていた震える手がかくりと落ちる。
「……ごめんね、カガリ。僕は……間違えたんだね。悪魔になれば生きられるって、戻れるって思ってた。だけど、喰ったつもりで喰われてたんだ……」
死神の足元で、死神に目もくれず、霞む視界にカガリを捉えて呟く。死神は感心しつつレコードを眺め、キラを見下ろした。
「へぇ、これ、君が繋いだの。それにしちゃ上手く繋がってるじゃん。
人の身体に悪魔の力……どっちみち、そろそろ限界だったみたいだね。狩るよ」
さくり と切られた走馬灯が巻き上がる。
ふと、キラは哀しげに微笑んだ。カガリを見据えてか細く呟く。
じゃぁね……
倒れていくキラの身体に思わず手を伸ばした。カガリは倒れたキラの肩口に手を突いて震える。
「キラ!……キラぁ!」
最期だ。もう最期なんだと分かった。ぱたりと滴が落ちる。
うん……向こうで待ってる
絞り出すようにそう言うと、キラは一瞬だけ生々しく笑って瞳を閉じた。
カガリはその顔にどきりとして目を上げる。死神が此方を向いていた。
「……アンタも送ってやるよ」
「だめ!逃げて!」
ステラが叫ぶ。死神の鎌を力任せにシンの手から引き抜いて振り上げる。
「! ステラ、なんで!?」
バランスを崩して2、3歩よろめく。シンは酷く傷付いた瞳をしてステラを見た。
「回収に協力してくれるって言ったのに、なんで……!だから、デスサイズを貸したのに……そいつもリストに載ってるんだ、ステラ!」
手を差し出して剣の引渡しを要求しながら、痛々しい叫びを上げる。
「だって……この人は私を助けた。彼処の子達も救ってくれるの。だから、だめ」
剣を背後に下ろしてステラは懸命に言う。それは懇願に似ていた。
「でも、リストは絶対だ。やらなきゃ」
「……行って!」
投げられた言葉は命令に近い。有無を言わさない強さで救出の責を課す。
見上げてみるステラは堂々として大きく見えた。いつかの小さく踞って震えている少女ではない。それは意志の強さを物語っていた。
ぼんやりと見惚れるようにして動けずにいると、小さく冷たい声が降ってきた。
「行きましょう。さもないと狩られますよ」
「でもステラが!」
死神に対峙した背中は振り向かない。
「彼女なら害されることはないでしょう。その思いを無にする方が、彼女にとって失礼かと」
その言にぎりと歯噛みする。
悪魔の癖に、この野郎……
時々、物凄く真っ当な事を言う。非情に残虐な行いをするかと思えば礼を語るその落差が苛立たしい。言い募りたいのに、反論できなかった。
返答を待たずに抱き上げられて舌打ちする。しっかりと抱き込まれた身体はぴくりとも動かない。無言で冷たく見下ろされ、こちらの意志など構う気は欠片も無かったと知る。
ーー分かっていたことだ。
こいつに魂を売った時から、願いを果たす為に生きている。優先されるのは目的で、こちらの意志ではない。
ただ、淡々と無表情にそれをこなす悪魔が無性に癪に障った。
「どこへ、行くんだ」
「あの屋敷へ。彼処の子達も救ってくれる、のだろう?」
何なのだ、この悪魔は。情けをかけようというのだろうか。
「それは何だ?同情か?」
「恩義に報いる、といったところでしょう。まぁ、気紛れのようなものです」
「悪魔の癖に」
既に移動を開始している悪魔の肩越しに、未だ死神と向き合うステラと色を失っていくキラを見る。遠ざかるその姿が滲んだ。