久し振りに見る街並は、眩しいと感じるくらい日差しに照らされていた。ふと上向いて溜息を吐き、口角を上げる。
刻々と色を変えていく空と光。それは、昔、地球で見ていたものとあまり変わらない。地球の環境を再現するには些か狭い空間に、白い昼の光と水色の空が見えている。この壁の向こうは深い群青に朱の球が浮かぶだけだと思うと不思議な気がする。この大気の量で日の出も日没も表現するとは、まさに技術力の賜物であると思わざるを得ない。
ただ、なぜそれが必要なのかは分からないままだ。前に誰かに、朝も夕方も作る意味が分からない、と言ったことがある。その人は、生体のリズムを整えるのに必要だと言った気がする。別に、昼は明るければ活動できるし、夜は暗ければ眠れる、それでいいんじゃないか、とシンは思っていた。けれど、こんな風に空があるっていうのもいいかもしれない、とこの時は思った。
「おぉい!なにボーッとしてんだよ、置いてくぞぉ!」
一緒に歩いていた筈の友達は随分先で呼び声を上げている。久々の休暇に街へ下りて、今度の出航にむけて買い出し(往々にしてそれは体のいい建前だが)をして宿舎へ戻るところだ。
とりあえず、生返事をして追いかける。友達は路地を抜けた。慌てて路地を抜けたところで 、人が倒れ込んでくるように目の前に現れて、思わず抱きとめる。軽くて、柔らかい。
「大丈夫?」
女の子だ。覗き込むように窺った表情はあどけない感じがした。温か味のある黄色の髪がふわりと揺れて振り返る。ガーネットの瞳は苛烈な怒りを含んでいた。驚いて手を放す。ふん、と軽蔑の音を残して彼女は走り去った。
「お前、今、胸掴んだろ」
「え?!
思わず掌を見る。
「この、ラッキースケベ」
にやりと笑って友は駆ける。
「違う!……ちょっ、待てよ、ヨウラン!」
追いかけると可笑しそうに笑って面白がって逃げる。追いかけっこでもしている幼い子供のようにして宿舎に着く頃には汗だくでボロボロだった。

全くあいつら、変なとこでからかいやがって……
部屋へ戻って、汗を流す。頭の中で愚痴を散々零し、着替えた。
ふと抱きとめた時の感覚が蘇る。温かくて柔らかくて、まるで猫のようだった。髪の黄色が本当に黄色で印象に残っている。
……黄色の猫。
そんな表現が頭に浮かんで、少し笑った。

その時。
突如、けたたましく警報音が鳴る。
反射的に立ち上がり、部屋の外へ飛び出す。同じように慌しく駆ける非番の人達に出くわした。
「あ、シン!」
呼び止める赤毛はルナマリア・ホーク。同じ制服を着た仲間だ。
「何?!演習?」
「聞いてないよ!てか、進水式明日だろ?!
「そ、そうよね。演習な訳ないわよね……」
早目に戻ってて良かった、と愚痴とも独り言ともつかない呟きを、軽く走りながら聞いた。
勢いで宿舎を出て、その異様な空気に息を呑む。火薬と鉄の臭いがする生温い風に重い起動音が混じっている。
とても無事とは思えない。
どこか見覚えのある景色に嫌悪を感じて足が竦んだ。
「何、ぼうっとしてるの!行くわよ!」
ルナマリアの声に無意識に体が動く。
「ちょっと!」
「え?」
咎めるような瞳に踏み出しかけた三歩目が止まった。
「だっておれ、こっち……」
「あ!そっか、シンのはミネルバだっけ……ごめん、じゃ、後で」
「うん」
そこからは全力で走る。走りながら通電音とアクチュエータの軋む音を聞いた。
これは……ヤバイ
逸る気持ちが最速で前へ出る足をももどかしく思わせる。発砲音と巻き上げられる粉塵に押されて、狂ったように駆けた。
「やっと来たか!」
「遅いよ、シン!!
整備班は口々に憎まれ口を叩いて、しかしそれは挨拶のようなものだと心得ている。
「悪かったな!」
言いながら足は止めずに駆け上がり、高跳びの要領で搭乗した。
「状況は?」
「6番ハンガーがやられた。奴等、新型を強奪して逃げる気だ」
即座の返答と声の硬さに緊張する。勿論、事態の異常さにも、だが。
「どこのヤツだよ?!
「分かんないよ、そんなの!けど、こうなった以上敵だ、取り敢えず出て!」
「了解」
眼前に並ぶ機器を起動させる。妙に明るい女声がシークエンスを開始した。それを意識の裏で聞きながら状況を読む。

厳戒ではないにしろ警戒はしていた筈だ。そもそもハンガーは疎か基地内に入り込むことだって容易じゃない。しかも機体を奪取して逃げるなんて
ーー 軍人?
しかも同胞の……て、それはないよな……
……特殊部隊 !?

この機体は恐らく彼等に知られていない。3つのパーツで構成されているため、3機の艦載機として位置付けられている。いちいち連結しなければならないのが少し面倒ではあるが、戦闘機3機とMS1機の火力の差は言うまでもなく、切札と成り得る機構なんだろう。まさに衝撃的、その名がインパルスであるのも頷ける。
その面倒な連結を完了して、手間取った時間を取り戻すかのように駆った。
眼下に見える基地は惨憺たる有様だった。
ハンガーはほぼ壊滅、襲撃に起動が間に合わなかったものは勿論、起動出来ても敵う筈もない機体が破壊されて散らかっている。合間に緑や黒い赤がちらちら見えた。爆煙の臭いに混じる鉄臭さを嗅ぐ、臭いなど届いてくる筈もないのに。
嫌悪に心が捻じれた。
ーー何だよ。何なんだよ。……何だっていうんだよ!
「なんでこんな……また戦争がしたいのかよ、あんたたちは!」
形振りなど構わなかった。追い縋るように攻撃して吐き捨てる。
捉えた。ガイアと名の付いた黒い機体だ。
「シン!命令は捕獲だぞ!分かってるんだろうな、あれは我が軍の」
抜けた雰囲気の副艦長が声を上げている。何を呑気な……
「分かってますよ!
でも出来るかどうか分かりませんよ!大体、なんでこんな事になったんです?!
そもそも警備が甘かったんじゃないのか。新鋭機があるんだから厳戒にしておけばよかったんだ。
「なんでこんな簡単に、敵に……!」
叫んだところで状況は変わらないが、やり切れない感情は否めない。
「くっそ、止まれよ!!
尚逃げる機体に毒吐く。回線は切られていた、尤も、繋がっていたって聞くような相手じゃないだろう。 わざわざ強奪しに来ているんだ、相当の覚悟があるはずだ。
だったら、強奪できなければ破壊するーー自分ごと壊すーーことを考えているんじゃないだろうか。
もう“捕獲”などどうでもよくなった。兎に角、帰しては駄目だ、壊す勢いで止めるーー
そう結論してシンは眼前の黒を睨んだ。
この1機だけは積極的に仕掛けてくる。他の2機は撤退を目的にしているのに、そういう気配が見えない。
追撃を嫌っての作戦なのか、高揚に我を忘れているのか。
理解し難い気持ちを抱えながら動きを追って駆ける。
後ろで何か叫んでいる、それを判別する余裕はなかった。この1機さえ捉えていれば尻尾だけは掴んでいられるかもしれない。上手く隙を突ければ足を止められるかも……
軽く吐き気を覚えながら剣を振るう。
「くそっ……訓練では、こんな !」
振り回されるなんてことは無かった……!
そもそもコロニーの中で戦闘行為なんて、どうかしてる。
だけど、瞬間、機体を奪取しに来るくらいなのだから、何でもありだろう、と思い直す。
こいつ滅茶苦茶だ、そう思いつつ、そのペースに呑まれて巻き込まれていく。
幾度攻撃を受けて、幾度剣を振るったか。
捉えたと思うと引き離されて決定打を打てない。
吐き気が強くなるのを感じた時、ふとガイアの動きが止まった。
なんだ、こいつ?
まるで動力が切れたような。
呆気にとられて息を呑む。失墜しかけて先行の機体に引き上げられていった。
その動作にはっとして曳かれるように追う。
何かを叫ばれた気がしたが、それはもう意識の外、縋る様に追って飛び出した。