poggiato

開いた扉に近づいて、思わず首を竦める。吹き込んでくる冷たい空気が耳を掠めた。
柔らかいというより弱い日の光は白い大地に反射して世界を輝かせている。その増幅された光に目を細めながら地に降りた。
降りながら、ああ、こちらは季節が違うのだったと胸の内に苦笑して、少し離れて待つ風情の人物に近づく。
それは見知った人物ではあったが、通常そこにいる人物ではなかった。
「ようこそ、スカンジナビアへ。この度のご訪問、楽しみにしておりました」
慇懃な調子で礼を執るその人物に僅かに鼻白みつつ、礼を返す。
「出迎え有難く思う。貴公には寒い思いをさせて申し訳ないな」
「何、此方ではこんなの寒い内に入りませんよ」
穏やかな微笑みを湛えて見据える瞳は、嘘を吐いているようには見えない。そうか、と淡く笑って先導について歩いた。
「ところで、今日はいつもの士官ではないんだな。何故貴公が出迎えなんだ?」
「ええ。陛下のご意向ですから」
くすりと笑って視線を寄越す。ぞわりと寒気が背中を伝って、思わず目を逸らした。
陛下のご意向?どういうことだ?
しかしそれは言葉に出来ないまま、用意された車に乗り込む。

隣り合って座りながら失礼な程黙り込んだ。
窓に流れる景色は薄氷を纏い、如何にも寒そうな空気が滞留している。やがて郊外へ差し掛かると一面に雪が広がり、全ての色を消し去るかのように敷き詰められたそれが辺りをぼんやりと白く照らしていた。
「雪はお好きですか?代表」
唐突な発言に振り返る。ずっと窓の外に目を向けていたからだろう、景色に見惚れているように見えたのかもしれない。
「そうだな。嫌いじゃない」
そう答えると、隣りの男は嬉しそうに言った。
「では、明日は街を散策しませんか?雪化粧の街も美しいものですよ」
一方的に彼は冬の街について語る。それを遮る理由も思い付けず、既にこちらの気持ちなど意識に無い男に溜息を吐くしかなかった。

やがて車は王宮に二人を運んだ。戸外の空気もさることながら、宮殿は冷たい凛とした空気に満たされている。
長く広い廊下は全体に白く、冷たい印象だ。その空気とその印象が、世界を厳しく律しているように感じた。祖国の暖かく開放的な空気とはまるで違う。その違いに萎縮する。
前はこんな風には感じなかったのに……
貴賓室に通されながら、ぼんやりと思った。
到着は午後で、直ぐに日は傾き、あっと言う間に暗くなった。
祖国の暖かく燃える様な夕焼とは似つかない、淡く物悲しい夕闇に街並が沈んでゆく様は神秘的で、まるで異世界にいるようだ。先程から感じている違和感が不安を煽るのか、お伽話の中に迷い込んだ様な気分になる。そんな気分のまま、国王との会食に臨んだ。

晩餐会は滞りなく進行した。
南国の意匠を取り入れた料理は面白く、興味深い。そんな凝らされた趣向に感想を述べ、近況を語り、他愛ないことで笑い合いながら、どこか雰囲気の違う国王夫妻に僅かに戸惑った。
「ところで姫」
王は和やかな笑顔を浮かべて、目の前の若い首長を見据える。短い返事と共に目を上げて、交わる視線はどこか硬かった。
「国も落ち着かれたようだし、どうかな、この辺りで身を固めては?」
「え?」
口角が歪む。
「貴国と我が国は共に歩んできた。難しい時期に貴国の力を借りた事もある」
「それは我が国も同じです、陛下。何度も援けて頂いた。いや、私達こそお力をお借りして、未だお返しも出来ず」
「よい。好きで手を貸したこと、気に病む事は無い。我が国こそオーブが共に立ってくれたからこそ、護られた部分もあるのだ」
真っ直ぐにそう言って王は続ける。
「我が国としては、この友好を確固たるものとしたい。ついては、この、第三王子を貰ってはくれぬか」
「は?!
突然の申し出に驚きを隠せない。しかし、“ご意向”の意味は分かった。王子に目を移せば、その微笑みに遠慮のない視線が混じる。
ーー 政略結婚、か。
「しかし陛下、私は」
「お国の事もある、直ぐに返答出来ることではないのも分かっておる。ここで返事を聞こうとは思っておらんよ。考えてみては貰えまいか」
穏やかな口調と微笑みに圧されて、はあ、と中途半端な返答が漏れた。会はそのままお開きとなり、返答は決まっているのに言えなかった自分に歯噛みしつつ、用意された部屋へ戻る。冷えた夜の闇は、陰鬱に胸の内にまで沈殿した。

悶々と夜を過ごし、浅い眠りの末に見る朝日は目に沁みた。低い陽は深く射し込んで心の靄まで照らし出す様で憂鬱な気分になる。
昨日のうちに話は通って段取られていたのだろう、朝食の後、有無を言わさず着替えさせられ、王子と二人、追われるようにして街へ出ることになった。
市販の服を着て、如何にも、な護衛を連れていなければ普通の人だ。一般人に紛れることが出来る。連れ立って出て来た王子は、こうしてよく街へ出ているのだろう、天候や街の様子など他愛ないことを喋りながら慣れた様子で歩いていく。
街路は雪こそ無いものの、凍えた感触を靴底に伝えた。硬く感じる路面が逃げる気がして、転んでしまいそうで、自然、足取りが遅くなる。
そうでなくても。受ける気の無い話の為に時間を割くのだから気は乗らない。
王子はその気でいるようだが、それにしては先を行ってしまう。そしてふと思い出す、あいつだって一緒に街へ出る時は歩調を合わせてくれたのに。それが職務だった頃の癖だとしても、離れ過ぎることのないよう、気に掛けてくれたあいつの方が好ましい。
「カガリ?」
数歩どころではない先から声がかかった。目を向けて、見えた顔が驚いていて苛立つ。
「ああ、先に行ってくれ。私は適当に見て回るから」
吐き捨てるように言って足元に意識を戻した。もう王子に意識を戻すつもりも無いカガリは歩くことに集中して視線を下げる。
「済みません、やはり歩き難いですか。雪が無いから大丈夫かと思ったのですが」
戻る足音が聞こえて、やがて靴先が視界に入った。漸く並ぶ気配を見せる王子を一瞥して、振り払うように一歩踏み出す。
「ああ、大丈夫だ。気にするな」
「そういう訳にはいきません。これからの人生を共に生きようというのに」
王子は真顔で言った。しかし、真剣に考えているとは思えず、現に遅れていることに気付きもせず先を歩き、関心を向ける風にも見えない王子に、カガリは溜息を落とした。
「私はその話を受けた覚えはないぞ」
硬い声で言ってやれば、不思議そうな顔をする。
「何を仰る、断る理由など無いでしょう?」
「私としては断らない理由の方が無い」
時が止まったようだった。絶句して王子はカガリを見る。カガリは目を上げて道の先を見据えた。
「私はオーブと結ばれたんだ。もう誰とも結婚する気は無い」
透明な空気は凍るように冷たい。道の先で子供達が息を白く吐きながら駈けて行った。
「勿論、代表をお迎えする訳にはいきません。私がそちらへ入ります」
「それはそうだろう、陛下は貰ってくれ、と仰った。分かっているさ。そういうことじゃない」
子供達の笑い声のする方へ歩き出した。
「決めたんだ。もう誰かとの関係の都合や国の為だけに結婚はしない」
「都合、て」
「都合だろ?陛下の意向だ、と貴公も言ってたじゃないか」
「しかし、それは一つの切欠ではありませんか」
「……何故、そんなものが必要なんだ?私には重荷でしかない」
歩を進めるカガリの手首を王子が掴む。湧き上がった苦い思いを露わにしてカガリは王子を見た。
「貴女には支えが必要だ。私が」
「必要無い。放せ」
ぴしゃりと言い放ち、睨みつけた王子の顔は困惑していた。
その困惑にカガリは僅かに後ろめたさを感じる。王子の行動の向こうに見ていたのは王子ではなかったから。しかし内心を、本当の理由を知られることがあってはならない。
放されない手首と睨み据える瞳
硬直した時を、双方の意地が生み出していた。
「……例え、そうだとしても。
私達の婚姻によって得られる結び付きは、貴女の目指す世界に於いて重要な役割を果たすと思いますよ」
王子は冷えた口調で呟く。その音は小さいのに刺すように胸に響いた。
「何 ?」
睨み据える瞳は一瞬揺らいだ。
「我が国の世界での立場はご存知でしょう。
大戦の折、貴国と同じ選択をして、北と南で宇宙の侵略に対抗した。そして今や無視できない影響力を持っている。
我々が一つとなれば、地球圏はより平和へと近付くでしょう」
言って不敵に笑う王子は、カガリを言い包められる気でいるらしい。その笑みを胡乱な気分で見返した。
確かにここで姻戚関係を結べば、中立国同志の繋がりが出来て、いずれそれを広げていくようなことも考えられるのかもしれない。けれど。
「あら?カガリさん?」
突如、軽やかな声が響く。歩み寄る桃色の影に少なからず驚いた。
「ラクス?!
「こんな所でお会いするなんて奇遇ですわね。そちらは?」
和やかな笑顔は周りを明るくする。だが、先程まで睨み合っていた顔は強張って、ぎこちない。
「ああ、スカンジナビア王国の第三王子だ。……ラクスは知っているよな」
狐に抓まれたような顔をして王子は手を放し、最後の問に頷いた。
「ご来訪とは伺っておりませんでした、クライン議長。こちらには、どうして?」
ああ、と手を打ってラクスは答える。
「急に訪ねてみたくなって。……スカンジナビアは、父の生まれ故郷なのですわ」
そう言うとちらりとカガリに視線を送った。
「一人か?キラは?」
背後を見遣りながら、不思議そうに聞いた。誰の影も無い。
「一人ではありませんけれど、今日は違います。父の故郷ですから、キラでは駄目ですの」
暗にそれは“計画”の一部、遺伝子レベルの格差の始まりを、その研究さえ潰そうという彼女の計画の一環としての行動であることを伝えていた。にこりと微笑むラクスはカガリに問う。
「カガリさんは、王子とお二人ですの?」
真っ直ぐに見据えてくる瞳は、穏やかなように見えて嘘を許さない厳しさを含んでいた。
「あ、あぁ……」
「いずれ結婚を、と」
そう言って王子はカガリの肩に手を伸ばす。 突然発せられた王子の言葉に、ぎょっとする。
「まあ!それは……」
ラクスは哀しげで心配そうな瞳で問うようにカガリを見た。王子の手に肩を抱かれたカガリは忌々しげにその手を払う。
「いい加減にしろよっ!」
払った勢いで数歩離れた。そこから睨み付ける。
「その話は受けないと言っただろ?!
その剣幕をも超越するかのような超然とした態度で王子は言った。
「しかし我々の影響力を以て結託すれば、平和はより近付くのではありませんか」
「地球圏に限れば、ですわね」
冴え冴えとしたラクスの声が響く。王子は訝しげな瞳をラクスに向けた。
「何、と?それではいけないのですか」
「ええ。それでは困ります」
カガリの王子を見詰める苛烈な瞳にラクスの凍る微笑みが並ぶ。
「私も仲間に入れて下さいな」
「そうではないでしょう、議長」
ラクスの背後からの低く窘める声に振り返った。王子は首を傾げ、ラクスは肩を竦め、カガリは目を瞠る。
「そのような子供じみた言い方、王子に失礼です」
「あら、そうですか?」
無邪気に笑って、悪戯な瞳を声の主に向けた。声は呆れたようにラクスを一瞥して王子に向き直る。
「しかし、貴方も随分失礼な方だ」
「何を!大体、誰だ貴様」
割り込んできた声に王子は不快感を露わにした。その様子を気に留める風もなく淡々と返す。
「プラント国防事務局所属 アスラン・ザラです」
「私の補佐をして頂いています」
畳み掛けるような二人の返答に王子はたじろいだ。そして何より告げられた事実に驚愕を隠せない。
「アスラン・ザラ……戦犯の、」
「そんなことだから、物事の本質が見えないのですよ」
僅かに顎を上げて剣呑な瞳で王子を見下ろすアスランを、王子は怒りで受けた。
「なっ」
「貴方に世界が見えているなら、アスハ代表が望んでおられることも分かる筈です」
言い放つ姿は堂々として感情の無い冷徹な瞳は威圧さえ感じさせる。怯むようにして口篭る王子に続ける。
「先程から平和を唱えているが、それは何ですか。貴方の周りに争いが無いことですか。そうであるなら、アスハ代表が目指す平和とは違う。それを同じ平和を目指していると決めてかかり、山車にしてまで求婚するとは失礼だ、と言っている」
握った拳は怒りの所為か震えていたが、王子の反論はなかった。そもそも、平和の意味の違いなど、考えてはいなかったのかもしれない。その様は戸惑っているように見えた。
「今の様子では、貴方の語る“平和”は宇宙に対抗する力を得ることのように聞こえる。その平和に宇宙は見えない。しかし、アスハ代表が目指しているのは、宇宙も含めた、人類社会の平和だ。だから議長も、それでは困ると言ったのですよ」
「それに、カガリさんには、やっておかねばならないことがあります」
微笑みを湛えながらラクスの瞳は尚も冷たく、糾弾するような硬さで王子を捉えて離さない。
「それは人の在り方を問うもの。ですから、カガリさんの目指すものは王子の仰る平和とは違うのですわ」
ふ、と息を吐いてカガリは王子を見据えた。
「訳が分からない、て顔だな。
私が父から託されたのは国ではない。オーブの理念だ。貴公の言うことも正しいとは思う。確かに、貴国と繋がれば、地球圏を席巻して争わない世界を形造ることは出来るのかもしれない。だけど、それは違うんだ。
侵略せず、侵略を許さず、争いに介入しないのは国に限ったことではない。人の心に於いても、だ。
我等の影響力を以て、と言うが、それでは連合と同じじゃないか。それは威圧による精神的な侵略だ。
そうではなく。
私は、争いの根を断ちたいと思っている。それには宇宙の協力を仰がねばならない。渉って行かねばならないことも、もちろんあるだろう。
その状況で環境が変わるのは私には荷が重い。だから、今は未だ考えられない」
目線を下げて、すまない、とカガリは言った。
縁談を受けない一番の理由はそれでは無いが、王子がカガリの最大の関心事に恐らく理解を示さないであろうことは、その理由として提示しても良いだろう。
「いえ……。成程、それは、とんだ失礼を申し上げました」
言いながら王子は、意味を図るようにカガリを見据えていた。その実、揺らいで焦点の定まらないような視線は、押し黙って思索を巡らしながら、オーブの理念と争いの根については俄には理解し兼ねるといったところか。
「しかし、貴国との連携は考えなくもないんだ。保障国を持つのはどうだろう。自国のみで中立を貫くのは危ういと私は感じている。やはり、法的に保障できるものが必要じゃないか?そういう結託の仕方もあると思う。というか、私はそちらを望む」
言って、眉間の力を抜く。それを見てラクスはくすりと笑った。頬を緩めて見遣れば、ラクスの柔らかな笑顔と桃色の髪の向こうに碧の瞳が覗く。かち合った視線に、一瞬貌を強張らせたカガリをアスランは微かな笑みで見返した。その眼差しは暖かで穏やかなーー それは、是認、と知っている。
安堵したように笑みを零して、カガリは俯き加減に視線を外した。そうして息を吸う。
「陛下とも話がしたい。取り成して頂けるだろうか、王子」
「ええ、それは、勿論」
弾かれたように答えて、王子は我に帰った 。苦笑してそれを受ける。
「では、私達も戻ります」
「ああ。気を付けて」
ラクスは軽く会釈をして振り返った。既に意識は道の向こう、それぞれがそれぞれの方向へ歩み出す。開いた距離に冬の街の空気が流れ込んだ。