生温い風が吹いていた。その風には名前が無い。天井は寸分の狂いも無く空を上映し続ける。 人工の景色の造作は完璧な筈なのに、何故か異質を感じてしまうのは、人の感性が鋭敏すぎるからだろうか。 それでも、ふと息を吐いてしまう。手入れの行き届いた庭で、二人の少女はどちらからともなく笑った。
「こんな風に会うのは久し振りですわね、代表」
「やめろよ、公務を離れてまで“代表”なんて。それとも、これは極秘会談か?」
 言って、肩を竦めると金の髪が揺れた。静かに足を運びながら、それを好ましげに笑う。
「それもいいですわね、カガリさん」
 本気か? と嫌そうな顔をするカガリに、冗談ですわ、とラクスは軽く答えた。
 戦後、二人の女神は国の要となった。カガリは引き続きオーブ連合首長国代表首長の責を負っており、 ラクスはプラント最高評議会議員となっている。
 停戦を呼びかけたラクスはその件で評議会に招聘され、そこに至るまでの様々な事柄 ――軍事力の私的占有、使用やそれによる戦況の混乱など―― について問い質される筈だった。
 しかし、彼女が動かなければ地球に壊滅的な被害を与えていたであろう事は明白で、確かにそれでも戦争は終わったのかもしれないが、より人道的な見地で収束させたことを功績と認め、彼女への処分は、軍籍のあるものの軍への返還を求めるに留まった。 寧ろ、そのカリスマ性を以って世界を巻き込んだその力が、評議会は国を立て直すために欲しいと言う。民が“ラクス・クライン”の言葉に宥められるのを見、その影響力を認めざるを得ない今、傷付いてばらばらになったプラントを纏める可能性を彼女に見ているのだろう。特例処置をとってラクスを評議会へ迎え入れるに至った。
「こうして笑えるのもラクスのお陰だな」
 踏みしめた芝が青い匂いを発している。
「あの時、私は見ていることしか出来なかった。自分では何も出来ずにただ待つことしか」
「それが務めなのですから、仕方ありませんわ」
 毅然と言い放って微笑んだ。それを苦笑いで受ける。 ラクスの評議会入りに合わせて宛がわれたというその家は、評議会議員の住まいにも、クラインの当主にも相応とは言い難いが、 良く整えられていて見苦しいところはなかった。青く茂った芝に、よく急場にこれだけのものを整えられたものだと感心する。
「ねぇ、お茶淹れたからおいでよ」
 柔らかい声がしてラクスが声を振り返る。その視線を追おうとしてカガリは足元が揺れるのを感じた。よろめきそうになるのを堪えて視界に桃色を探す。不意に手をとられて歪んだ視界が元の像を結び始める。内心、ほっとした。
「参りましょう?」
 声の主は眉根を寄せた。それと気付かれぬほど密かに。


 室内には芳香が立ち込めていた。どこか既視感を感じてカガリは辺りを見回す。 ラクスに勧められた椅子に腰掛け、その既視感の元に辿り着く前にカップが差し出された。
「ありがとう。……いい香りだな」
「バルトフェルドさん直伝なんだ。味も良い筈だよ」
 目の前の紫が笑みを湛える。ああ、それで、と納得した。既視感の元に目を落とす。
 その褐色はゆらりと揺れて、香る湯気が鼻腔を擽った。思い切って口に含む。やっぱり、と内心に呟いて、纏わりつくようなえぐみに眉を顰める。
「……あ。口に合わなかった?」
 心配そうに覗き込まれて様子を窺われていたことに気付く。極まり悪そうに笑った。
「そうじゃないんだ、キラ。最近、珈琲を……受け付けないみたいで」
「まぁ」
 一瞬目を丸くしてラクスはカガリを見る。
「体調が良くないんじゃない? さっきもふらついたでしょ」
 はっと顔を上げてカガリはキラを見返した。気付かれていたことに驚く。うん、と気まずそうに頷くと、軽い溜息が落ちた。
「でも大丈夫だ。いつも休めば治るし」
「いつも?」
 キラの硬い声が響いた。ラクスが手を伸ばして制する。放っておくと熱の入った説教になりかねない。 穏やかに言葉を継ぐ。
「いつも、ていつからですの? あまり長いようでしたら診ていただいた方が」
「一週間、くらいかな。ここの所忙しいから疲れているだけだ」
 少し横になるよう勧めるラクスに頷いて、カガリはラクスの案内についていく。キラはその背中を見送りながら、何故か落ち着かない気持ちになった。


 ラクスのベッドに横になって、カガリは窓の外を見ていた。時折去来する小鳥に、この作られた世界に意外なものを見た気になった。こんな何の益になるか知れないものの存在が微笑ましく、自然に頬が緩む。知らず知らず、小鳥を目で追っていた。
「カガリさん?起きていらっしゃいます?」
 声に小鳥が視界から消えた。出かけると言い置いて出て行ったラクスが、戻ってきたのも間近に歩んできたのも気付かないほど、小鳥を追いかけるのに夢中だったらしい。
 差し出された紙袋を受け取りながら怪訝な視線を送ると、使ってください、と囁かれた。中身を覗き見て、カガリは耳から紅潮する。
「! ……ラクスっ」
「医師をお連れしたほうがよろしかったですか?」
 至極静かな声に恥ずかしさが膨れ上がる。本国なら兎も角、ここで、それが報道されでもしたら、それは不味かった。時期的にもそれだけは避けたいところだ。ラクスの判断は正しい。でも、と逡巡していると、無いと言い切れますか? と痛いところを衝かれた。何も無ければ安心できるのですから、と背中を押されてカガリは渋々重い腰を上げた。
「ラクス」
「はい?」
 “それ”を差し出した。それ以上、言葉も出ないほど混乱して、震えている。
「……いらっしゃるみたいですわね」
 穏やかな声が現実を突き付ける。カガリはぺたりと座り込んで体を丸めた。