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「覚悟は、していた」
 長い沈黙の後にカガリは呟いた。ゆっくり立ち上がると壁に背を預けた。
「でも、どこかで有り得ないって思ってたんだろうな……」
 遠く窓の外に陽の傾きかけた空が映し出されていた。狂わない天候が少し恨めしい。
「けど、どうしてそうだと思ったんだ?」
 目を向けられてラクスはくすりと笑った。女の勘、ですわ。と答える笑みは慈愛に満ちたように見えて、どこか不敵だった。戸惑いを隠せず苦笑するカガリに、それで、と問いかける。
「どうなさいますの?」
 どう、て、と狐につままれたような顔をする暁の瞳には、既に決意が宿っていた。
「天に任せる」
「本当にそれでいいの?」
 いつの間にか戸口に寄りかかって聞いていたキラが呟く。はっと目を向けるカガリに厳しい目を向けていた。気まずさに目を逸らす。
「順調に行くとは限らない」
「順調に行かないとも限らないよ」
 手厳しいな、と苦笑すると、当たり前でしょ、と酷く冷えた口調で返された。
「自分の立場を分かってる? そんなこと許されると思ってるの?」
「思ってない」
 穏やかな声だった。普段なら、かっとなる流れで静かに微笑まれて拍子抜けする。
「自分の立場だって分っているさ。私は傀儡だ。首長達が、アスハの名に依って語りたいだけだ。そのほうが国民に受けが良いからな。自分の意思が通るわけじゃない、ただそこに居て、撥ね付けられて、名だけ貸せといわれる。あの国の象徴でしかないんだ、私は」
 淡々と語られる現実は重い。それを知っていてそうしなければならない身には、もっと重いだろう。その声にはうっすらと苦味が混じっていた。
「象徴なら誰にでもなれる。首長の支持さえあれば、誰にだって。私が象徴でしかないのだから、議会さえあれば国は回るんだ。だけど」
 落とした視線が一点を見据える。長として据えられながら、指導者ではないことを知っている彼女の語るそれは、極論だが確かな現実だった。それを否定できないから、言葉をかけられない。続く言葉を待った。
「この子には私しかいない。……ユウナは、死んだのだから」
 名を聞いて空気が凍る。唖然としてキラはラクスの様子を窺った。ラクスは哀しげに眉根を寄せて、瞳を複雑な色に染めている。カガリは護るように下腹に手を当てた。
「私にしか、救えない命なんだ」
 静かに重い沈黙が下りる。カガリはそれきり話す気も無いようだった。何か腑に落ちないキラは記憶を辿る。それに符合する何かを見出そうとして果たせない。幾度目かの順路でラクスの声を聞いた。
「ユウナ・ロマの子として育てるのですね?」
 ん、と小さく呟くのが聞こえる。引っかかる言い回しに、探していた欠片が舞い込んできた気がした。それで全てを納得してしまったかのように押し黙ったラクスを見て、そういうことかと心中に呟く。
「でも。髪や瞳に彼の色が出てしまったら? ……誤魔化せないんじゃない?」
 自分でも意地の悪さにキラは呆れた。ぴくりと震えた肩に、後悔が少しだけ走る。
「それはこれから考える」
 勁い声だった。うろたえた様子の無いところを見ると本当に覚悟していたのだろう。まだ時間はある、と呟いて目を窓の外へ向けてしまった。堪らず追い討ちをかける。
「やっぱり。アスランの子なんだね」
 ふと振り返りかけて、視界の端に映ったキラを避けるようにカガリは視線を戻した。明らかな拒絶の色を含んだ眼差しに心が痛む。
「……ユウナの子だ」
 絞り出した声は苦しげに響いた。硬く目を閉じてカガリは全てを遮断した。