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{本気なの?カガリ}
{うん。もう決めた}
{けりを付けたら辞任するんだと思ってた}
 夜も更けようかという時刻、ぼんやりとモニタの明かりだけが点る。宵闇の沈黙が、モニタの向こうの空気を連れて来る。
{アスハの当主を辞められない以上、同じことだ。民意が、それを決める}
{待ってよ。オーブは民意で政治を動かす国じゃないでしょ?}
 キラの驚いた顔が見えるようだった。無理も無い。今まで国民が政治に係わることなど無い国だったのだから。
{うん。だけど、変わってゆくべきだと思う。国は、民の為にあるべきだと思うから。それに、私は国の大事に行方不明になっていたような人間だ。そんな奴に国を任せられるか? 施政を受ける当事者がどう感じているか、私は知りたいし、その意思を示す権利が国民に与えられてもいいと思うんだ}
{ああ……それ、僕にも責任があるね。あの時はごめん}
{いや、多分あれで良かったんだ。そうでなかったら、もっとひどいことになっていた}
 確かに強引だったし、有り得ないやり方だったな、とカガリは少し笑う。攫われた、なんて今でも信じられない。
{でも、代表を受けないことは出来るんでしょ?}
 条約締結を受けて、便宜上維持してきた政権の是非を問う国民投票を行うと言うカガリに、キラは暗に辞任を勧めた。“是”と出れば続投すると言うカガリに懸念を示すのは当然と言える。
{それは私が許せない}
{カガリ。それはわがままだよ}
 キラの溜息が聞こえるようだった。肩を窄めてカガリはモニタを見つめる。
{自分の体のこと、分かってるの? もうカガリが良いだけじゃ駄目なんだよ?}
 びくりと体が震えた。分かっている、けれども。
{これから大変になるんだし、それこそ身動きが取れなくなるかもしれないのに、そんな重責を果たしていけるの?}
{それは分からない。でも、だからって投げ出したくない。できるだけのことはしたいんだ}
{   そう}
 一文を見据えて大きな溜息を吐いた。キラはモニタの向こうに頑なな光を瞳に漲らせて睨むカガリを見る。
{……アスランなら、力尽くでも辞めさせるんだろうな }
 ちくりと胸の痛みを感じながら、キラは独り言のように書き込む。敢えて暗黙のうちに封印された名を出すのは、独り善がりな殻を砕きたいからだ。
 傷口を抉るような芯からの痛みが走る。未だ平静を装えないことをカガリは悔やんだ。
{でもあいつはいない}
{そうだね}
 時々、凄く意地悪だよな。モニタを見詰めてカガリは思った。
 前はこんなじゃなかった気がする。知らなかっただけかもしれない。でも、もっと穏やかな人のように思っていた。今は、時折見せるその厳しさが、空恐ろしく思えるときがある。
{キラ   お前、変わったな}
{そう?}
{なんか、怖い}
“怖い”の文字を見て、キラはくすりと笑った。自分でも感情的過ぎると感じる時がある。殊、カガリの事となると抑えが利かなくなることが多かった。
{ねぇ、言ったかな。アスラン、今、本部にいるんだよ}
{え?}
{本国に行って、そのまま帰って来てないんだ。そうしたら本部にいるんだってイザークが言ってて。何考えてるんだか}
{そっか。上、行くのか、あいつ}
 え、と声を上げそうになって口元を押さえた。
{その名を名乗ることの意味が分かったんだな}
 そう。その名を持つことの意味するところを知らなかったから、事実を突き付けられて動揺した。為すべき事を見つけたのだとカガリは感じて、自然、頬が緩む。
 キラは、その意味を取りかねて呆然とした。カガリの驚きの無さと納得した風な返答は意外だった。そして、ちりちりと痛みを、不安と焦燥を僅かに感じた。
 ゆっくりと沈黙が浸す。静かな闇が痛みを強調した。
{そのために戻ったんだとしたら…… 良かった}
 静かに笑って、カガリは息を吐いた。それはミネルバの上でシンから顛末を聞いた時から、燻っていたことだ。 その名に付随するものを知らないことを露呈した、あの一件が気にかかっていた。自分が為すべきことを優先すると示した時、気付いてくれたら、と僅かに願った。
 その名の派閥が在って然るべき事とそれを動かす資格があること。
 動くなら今この時。気付かないなら真実封印することも考えた。その必要がないと知った今、それぞれの為すべきことの先に目指す未来が、同じであることを願って静かに目を伏せた。
{アスランもそうだけど、カガリの考えてることも時々分からないよ}
 迷うような一文に、カガリはくすりと笑った。
{分からなくて当たり前だろう。違う人間なんだから。だから、キラはキラだし、私は私なんだ}
{ そうだけど}
 キラは釈然としない気持ちで溜息を吐いた。分からないなんて嫌だと思っていた。自分が為してきたことと、その血の繋がりが、理解出来ない筈は無いと思い上がらせているのかもしれない。そもそも違う時間を生きてきた。行動も考え方も似るところさえ無い。多くを理解したいと願っても、理解できることが僅かなのだろう。
{投票の結果は速報で流れるだろう。また少し忙しくなるな。暫く連絡できないと思うが……ラクスにも宜しくな}
{体、気を付けるんだよ、カガリ}
{分かってるよ。じゃぁ}
 送るだけ送ってカガリは回線を切った。抗議の目で睨むキラを見たような気がした。これ以上話していたら、悟られそうだし、耐えられそうに無かったのだから仕方ない。そう心中に呟いて息を吐いた。


 消息を知るのは嬉しいが、それ以上に寂しさを感じてしまう。寂しさに圧し潰されそうになる心が軋む。じわりと目頭が痛くなって、モニタの前を離れた。
 くるり ころり ぽこ
 自分の中で何かが動く気配をカガリは感じて手を当てる。
 くるり ころり ぽこ
 安堵と、不安と、喜びと、嘆きと。綯交ぜになった感情が水滴となって落ちた。

 民意はカガリを代表首長として是認した。