12

 その長身は遠くからもよく見えた。戸口を出て、早足に歩いて出迎える。黒髪の長身は歩調を変えずに近付いた。 出迎える人影を認めて、その瞳に硬い光が差す。
「久しいな、代表」
「呼付けて申し訳ない。応じて頂いて感謝している、ロンド・ミナ」
 軽く笑いあう。しかしその表情は固く、形式的な笑顔だった。
「しかし、そう軽々と出迎えられるとは些か無用心に過ぎないか」
 見下ろす瞳は内奥を探るように切り込んでくる。もう笑ってはいない瞳を見返して、肩を竦める。
「そうだな。小さなナチュラルの女だ、その恵まれた体格、コーディネイターとしての資質があれば息の根を止めることも容易いだろう。どうする」
「さて」
 軽く口角が上がる。暗に計画倒れに終わった暗殺を揶揄するカガリに、ミナも調子を合わせた。
「今更、という気もするな。それに衆目がある。自分が蜂の巣になっては意味が無い」
 互いににやりと笑う。
「気付いておられたか。流石だな」
「多少は学んでいるらしいな。だが軽率に変わり無い。ご自身の立場を自覚されよ」
 失笑を吐いて、尤もだ、というようにカガリは目を伏せた。

 失笑の形の顔のまま、カガリはミナを奥へと促す。一瞬の外気、邸内の空気、忙しく変わる郷里とは違う空気に、ミナは軽く疎ましげに息を吐いた。
「して、こちらに呼ばれたからには何か話があるのだろう?」
 廊下を先導されながらミナは静かに呟いた。カガリは苦笑して歩を早めながらちらりとミナを振り返る。ミナはそれを肯定と酌んだ。間を置かずして開かれた扉を潜る。
「相変わらず率直だな。まぁ、私もそのほうが有難いが。……掛けてくれ、落ち着いて話したい」
 カガリが右手を差し伸べて示した長椅子に腰掛けた。大きな窓から射し込む陽光が 部屋全体を明るく照らしている。ミナは僅かに目を細め、軽く足を組んだ。
「聞かせてもらおうか」
 ミナは真っ直ぐに射るような目でカガリを見る。その長身も相俟ってそれは威圧的に見えた。
「では、単刀直入に申し上げる。オーブに戻らないか」
 カガリはその威圧的な視線に怯むことなくミナを見据える。ふっと笑みを漏らし、ミナはカガリを見下ろした。
「何故そのように言われる」
 時に強情にも見える物怖じしない芯の強さは変わらない、厄介だとミナは内心溜息を吐く。
「天空の宣言、聞かせて頂いた。どの国家にも所属しないと明言されたな。これは独立を宣言したと受け取ったが違うか」
 笑みを消さず、視線を外さず、ミナは黙して暗に先を促した。
「それに関しては飽くまで私個人の考えだ、聞き流してくれ。貴女の説く新しい世界は、人々を肯定し、希望を与えるだろう。しかし、それは既にあるのではないか?」
 瞳の硬い光が閃く。挑戦的に見下ろし、笑みを引いた。僅かに拒絶する己を隠しきれない。
「みんな自分の生きたいように生きて、自分の信念に従って生きている。少なくとも、私が出会った人達はそうだった。抑圧を嫌って戦うレジスタンスも、戦争で家族を亡くした子供も、コーディネイターを友と呼ぶナチュラルも、みんな自分の望むように生きていた。方法はそれぞれだ。だが、その信念に従って正しいと思うことをしていた。闇の中で真実を掴んでいた。平凡な故に知られることが無いだけだ」
 ミナの苛烈な瞳がカガリを射た。
「では何故、世界は変わらないのか。国が変わらないからだ。国という枠組みを超えるには非凡でなければならない。国家は人だが、人は国家ではない。新しい世界は、既に人の間で形成されつつあるのに国がそれを抑え、都合のいいように闇に巻き込んでいるんだ、ミナが言うとおり。ならば人が国を変えるのを待つより、国が変わったほうが早くないか。
 私達の立場なら、それが出来る。ここで、やってみないか」
 沈黙が訪れる。値踏みするような目で見下ろしたミナは内心哂った。何と奔放な。 その大胆さは幼い。観点も代表首長というより、民に近い。だが。
「面白い考え方をするな」
「真実だ」
 その自信はどこから来るのか。伊達に代表をやってきたわけではないらしい。延いては自分の曲を奏でる者、ということか。
「だが、代表はオーブの理念を掲げるべき者。私の理念には従えまい」
「それは無いな」
 即答してカガリは薄く笑んだ。ミナは訝しげに眉を寄せる。
「それと己の信念に従って生きることとは別のことだ。確かに私は、オーブの理念を固守すべきなんだろう。だがそれは私の信念ではない。オーブの理念に魅力を感じてこの国に来た者がいる限り、その理念を貫く。彼らを裏切るようなことはしたくない。固執していると言う輩もいるが、私は責任を果たそうとしているだけだ」
 既に“国”であるのだから、そこに住む人のことを守らなくちゃな。そう言って笑った。
「だから私は、私の信念に従って貴女をオーブ政府へ迎えたい」
 ミナは軽く鼻を鳴らす。
「また唐突な」
「別に唐突でもないだろう、サハクは氏族だ。国政に携わるのはおかしいことではないだろう」
 少し俯いて笑みを引いたカガリは低い声で呟いた。
「国民の支持なんて知名度でしかない。政治手腕で見たらどの首長よりも劣っているのくらい、自分でもよく分かる。もし、ミナがもっと人の元へ下る人だったら、代表は貴女だったのだろう」
 何かに胸を貫かれたような気がする。明暗を分けたのはきっとそれだ。
 ミナとカガリの、延いてはサハクとアスハのこの国での、或いは地球での立場を決めたのは、人々に近いか遠いか、恐らくそれだけだ。国を統べる能力を持ちながら“影”と呼ばれた理由、それを責めぬ理由を、知ってか知らずか突き付ける細い肩を呆然と見つめる。
 分かった。自らの、この一族の生き方が、処遇を決めている。なのに。
 不意にカガリが顔を上げる。視線が絡んだ。
「貴女の提示した新たな世界は、人を自由にするだろう。闇を払い、この国に新たな世界を迎えたい。――力を貸して欲しい」
 黙ってミナはカガリを見据える。その瞳の揺らがない光に疎ましさを感じながらも、目を逸らせなかった。過去に囚われない意思に危うさを感じながら、そこに希望を見出しそうになる心を抑えこむ。
「……私はコーディネイターだ。首長等の反発は避けられぬと思うが」
「ナチュラルもコーディネイターも関係ないんじゃなかったのか?自らがそうでは 変わるものも変わらないだろう」
 カガリは失笑して言った。上目遣いにミナを見る。低く小さい声が鋭く響いた。
「そう。染み付いた感覚はなかなか拭い去れないものだ。父がナチュラルの私を選んだのもその所為だろう。首長たちは私が丸め込む。同じ人間なんだ、つべこべ言わせるものか。大体、理念に従いさえすれば、ナチュラルもコーディネイターも国籍を与えられる国なんだ、代表がコーディネイターだっておかしくはない。そうであっていいはずだ」
 ミナは息を呑んだ。大胆さには呆れるばかりだが、理が無い訳ではない。その感覚は確かに新たな世界に近い。人の間で形成されつつあるというのは強ち嘘でもないのだろう。
「だから、独立はするな、と?」
 くすりと笑ってミナは横目でカガリを見た。軽く目を見開く。が、すぐにミナの笑みを映してカガリは言った。
「どうしてもしたいなら止めない。ただ、この国も治めてみないか、と提案しているだけだ」
 今度はミナが失笑した。単刀直入とは言ったが、あまりに明け透けで本気かと疑いたくなるほどだ。
 そうして奥底を探るように、本心を窺うように、瞳を見据えて睨み合った。もとより婉曲なやり取りや思惑をもつのを好まない質だと知っている。そこに揺らぎはなく、この言動に至った思考の過程はどうであれ、思いに偽りはないと判じた。
「話は分かった。考えさせて貰う」
 立ち上がって、本当に小さく見える彼女を見下ろす。見返す瞳の真っ直ぐな光はミナを射る。
「戻ってきてくれることを期待している」
 少し慌てて立ち上がったカガリは軽く笑った。つられてミナも僅かに笑う。

 ……人の元に下る、か。内心呟いていた。施政者としては幼く頼りないが、時折心を衝いてどきりとさせられる。国は人なら、人を知らずして国を治めることなど不可能に近い。ミナは、もっと人の社会を知るべきだったのだと自覚する。
 窓から射し込む陽光が目の前で輝いた気がした。ミナは一瞬だけ眩しそうに目を細めた。