13

 扉が開くなり駆け出したその足は、転びそうになりながら前へ前へと急ぐ。縺れるのは慌てている証拠、気持ちはもう宇宙へ飛んでいた。
 サハク家からの通信。一秒でも早く、と気が逸る。
 普段はどうということのない距離がひどく遠く感じられた。急いて、躰を置いて前に出る気持ちが足元を狂わせる。何も無い所で躓いて浪費する時間がもどかしい。どうにか辿り着いた扉の前で、到着の合図のように開扉ボタンを叩いた。上がる息を呑み込んで体躯を立てる。室内に見えたラクスは神妙な面持ちで開いた扉に振り向いた。図らずも目が合って、言外に伝わる思考に互いに頷く。
 一つ深呼吸して、モニタの前に立った。

 モニタの中からこちらを見るのは、勁い瞳。その気迫に息を呑む。何とか一礼した その様子を見て、その有無を言わさぬ瞳はくすりと笑った。
「キラ・ヤマトか」
「……ご連絡、有難う御座います、ロンド・ミナ・サハク様」
 ん、と軽く頷いた黒髪は微笑んでいた。事態はそう悪くはないらしい。まだとくとくと早鐘を打つ心臓を宥める。
「御夫君は亡くなられているし、アスハも彼女一人。唯一の肉親と聞き及んでお呼びした。無礼を許されよ」
「お心遣い、感謝します」
 あの国民投票を受けて、カガリがミナに共同統治を持ち掛けたことは本人から聞いた。しかし、今日、ミナから連絡を受けて驚いたまさか、アメノミハシラへ上がってくるなんて。なんて無茶をするんだ、と怒りに近い気持ちで呆れ返る。
「ラクス・クライン殿から聞いたと思うが」
 軽く目を伏せてミナは言った。少なくはない動揺が伝わってくる。
「姉君が倒れられた。お伝えしたいことがあるのだが、よろしいか」
 ラクスから概要は聞いた。カガリがミナの元に居ること、体調を崩して休んでいること、急を要する話があること。内容は分かっている。だからラクスは回線を回さなかったのだ。
「……はい」
「姉君はご懐妊されている。医師によれば、週数はかなり進んでいるとのことだ」
「 そうですか」
 ぼんやり反芻して、あれからどれほどの時間が過ぎたか回顧する。ミナの眉がぴくりと上がった。
「驚かないのだな。知っていたのか」
 硬い色を含んで強く睨むミナを正視できない。気まずくモニタの端を見た。
「済みません。……それで、カガリは」
「大事無い。すぐに回復されるだろう」
「ああ。私なら大丈夫だ。済まない、ミナ。迷惑をかけたな」
 髪を手櫛で梳きながら、ミナに近付く影がモニタの隅に映る。そして、つ とミナを押して画面の半分を占拠した。
「キラか。もう、大丈夫だから」
 偽りなく笑った顔に陰が見える。キラはぐっと眉根を寄せた。
「酷い顔。どこが大丈夫なのさ。もう自分だけ良いんじゃ駄目なんだって言ったでしょ?大体、その体でアメノミハシラに上がって来るなんて」
「説教なら後で聞く」
 捲くし立てるキラを制してカガリは横目でミナを見る。ミナが口を開いた。
「全く。診察も受けず、公表もせずとは呆れるばかりだ。知っていて、何故叱責しない」
 向けられた軽い非難は予想外で、思考がとんだ。真顔で見据えられて、その圧倒的な雰囲気にキラは口篭る。
「カガリ・ユラが私をオーブに戻そうとするのは、其れ故だったのだな」
「そう言われるのが嫌だから、敢えて無視してきたんだ。今日だってこんなはずじゃ」
 本気で切り返すカガリが可笑しいと言わんばかりにミナが軽く笑い声を立てた。
「お前の真意くらい分かっている。でなければ、まともに話を聞くまいよ。責務を放擲しなかったことは褒めてやる」
 苦虫を噛み潰したような顔でカガリはミナを見る。ミナはその長身から見下ろして軽く笑みを引いた。
「今日のことがなくても私は戻ろうと思っていた。全て任せるにはお前では頼りないからな」
 その目に光が射す。表情が緩んでいく。
「しかし、これでは大幅に予定を変更しなければならない。今日は心底驚いたぞ」
「済まない。これの所為にされたくなかったんだ」
 ミナは目線でカガリに頷いた。そしてキラの目を見据える。
「遅れたが、お祝い申し上げる。姉君は無理をする性質らしい。御夫君の代わりに叱ってやれ」
 困ったような笑顔を向けるキラにミナは目礼した。
「公表はさせて貰うぞ。……時期は考慮するが。できるだけ早急にな」
 確認するように隣をちらりと見たミナに、カガリは不承不承に頷いた。

 それから通信をラクスに返して、キラはモニタから離れる。ラクスは、ミナと今後予想される流れについて幾らか話した。
 一週間で共同統治を宣言、次の一週間でカガリの懐妊を公表、次の週には表敬に伺いたいとミナは言った。驚くほどの速さで組み上げられるスケジュールにキラは瞠目した。
 オーブは先の国民投票を受けて組閣の最中だ。駆け足だが無理はないだろう、とカガリは言った。
 ラクスも、早くて困ることはないでしょう、寧ろ早くしないとカガリさん、産み月に入ってしまいますわ、と笑った。
 馬鹿な、とミナが笑い、そこまで遅くなるものか、とカガリが窘める口調で失笑する。
 彼女達との距離は手を伸ばせば届くほどなのに、とても遠くに感じてキラは呆然とその光景を見詰めた。