16

 それは何の変哲も無い定期便だった。定められた航路を、定められた時刻に、定められた時間で行き来する。
 その、定刻で到着したシャトルが吐き出した乗客に、一つ小さい影が見えた。細い首をくるりと回して見渡す。小さい影を一瞬早く見つけて手を挙げた影に、小さい影は安堵の笑みを漏らして駆け寄った。もう一度、首を回して言う。
「……月も、プラントとあまり変わらないんですね」
 その細く高い声はよく響いた。思いのほか響いた自分の声に、少年は身を縮ませる。
「港なんて、構造は大して変わらないからね」
 並んだ影は少し笑った。軽く背を押して先を促す。人の流れと共に市街を目指した。藍に染められた闇から灰色の港内へ、白く照らされたターミナルへ、昼下がりの光に照らされる街へ。少年の首は幾度も回った。市の中心へ向かう私用車の車窓に張り付いて街並みに見入る少年に微笑みながら溜息を吐く。
「全く。いくら誕生日だからって……とんでもないプレゼントをねだったね」
「だって、そうでもしないと母様は地球から出してくれそうにないんだもの」
「……確かに」
 くすりと笑いあってその顔を思い浮かべる。平静を装って責務を果たしながら、裏でやきもきしている姿が容易に想像できた。我侭を言ったことをほんの少し後ろめたく思いながら、この街でのこれからへの期待が少年の瞳を輝かせていた。
「だけど、どうしてシャトルで? 迎えに行ってあげるのに」
「やめてよ!」
 勢いよく振り返る見開かれた瞳に苦笑する。
「せっかくただの子供になれるのに、フリーダムでなんか来たら目立っちゃうじゃないか」
 気の強そうな膨れっ面は母親によく似ていた。くすり、と笑うと睨み返してくる。カガリにそっくりだ。そう胸に呟いて目を細める。
「そうだね」
 少年はその言葉に僅かに笑んで車窓に視線を戻す。
「それに、そんなの職権濫用も甚だしい。僕が、許せない」
「! ……これは恐れ入りました。 アエカは難しい言葉を知っているね」
 アエカは得意そうに胸を張ってみせた。
「これでも代表の息子ですから。   それに」
 おどけた雰囲気を打ち消すように笑みを引く。硬くなる語調にちらりと少年を見遣った。
「なんか、僕、 ……半分、コーディネイターなんじゃないかって気がしてるんだ」
 ぴくりと眉が上がる。視線は正面に向けながら、隣の少年に神経を集中させた。
「キラ、本当のところ、何か知らない?」
 真剣な表情で真直ぐに聞いてくるアエカの気配を感じながら、キラは何食わぬ顔を繕う。
「あの人がコーディネイターだなんて話は聞いてないけど。父様もナチュラルのはずだよ」
 平静を装うのが精一杯だった。出自が気になる年頃だっただろうか、それとも何か……
「何か、あったの?」
「ん……ううん、別に、何も」
 何も、無い訳はなかった。幼児のうちから、その才能は頭角を現していたし、それは周囲の認めるところでもあったし、本人がそれに気付き始めていてもおかしくはない。周囲の子供達に指摘されても、それは寧ろ自然なはずだ。そういう葛藤だろうか。
 正面を向いて縮こまり黙り込んだアエカの心を想像し、それに既視感と同情を覚えてキラは黙した。


 やがて車は市の中心部へ近づく。行政の中心になる省庁が並び、その周りには公園や公共施設が散在する。見慣れた光景だった。
「地球と同じだね」
「人の社会の基本は何処へ行っても大して変わらない、ということだね」
 施設を覘いてみるか、という問いに、アエカはつまらなそうに首を横に振った。
「僕、あっちの方が見てみたいな」
 そう言って公園を指差す。
「月の植物って、どうなっているの? 地球と同じように育つの?」
 アエカの疑問に得心したように頷くと、その表情は期待に満ちた。並んで足を踏み入れた途端、アエカが駆け出す。それは逃走の速度だった。慌ててキラは制止するが、何分子供はすばしこい。軽く笑いながら駆けていく子供に軽く舌打ちして後を追った。


「月に潜伏していたのは彼等だけのようですね。彼等の周辺を洗ってみましたが、何も出ませんでした」
「そうですか。ありがとうございます」
 赤い茶髪の男が、そっとメモリを渡す。
「一応、整理はしてあります。……片は付きそうですか」
「ええ。漸く、次の段階に進めそうです」
 互いを見合わせて安堵に表情を緩めた。
「いろいろと、本当に有難うございます。助かりました」
 青い黒髪の男が頭を下げて、茶髪の男が慌てる。手をばたばたと振って後退さった。
「とんでもない! やめて下さいよ。そもそも、こういうことは得意ですし、ラクス様のご意向でもありましたし、私は私の仕事をしただけですよ」
 くすり と笑い返されて、茶髪の男ははっと息を呑む。照れ笑いして、そのまま小さく笑いあった。
 その時だった。とん、と弾む衝撃が伝わったのは。
 青い髪が軽く揺れる。地面に落ちる音がして、振り向いたその瞳に映った少年に息を呑んだ。
 金の髪、暁の瞳。
 忘れもしないその色を引き写した少年が一拍遅れて顔を上げ、その色でなく容姿に目を見開いた。
 何処かで……会った気がする……
「ご、ごめんなさい! あのっ……」
「大丈夫か?」
 ふ、と失笑したその人の様子が、怒ってはいないようだったので、アエカは内心安堵する。手を差し出されて素直に握った。
「怪我は、無い?」
「はい。大丈夫です。あ……あなたは? 大丈夫、でしたか?」
 思い出したように問うてくる少年に、青い黒髪の男は更に困ったように笑う。
「子供に当たられたくらいで怪我をするようでは、世の中は相当暮らし難いだろうな」
 思わず苦笑いした。アエカはその人から目が離せない。何処かで、見た。そんな妙な既視感に捕らわれたまま見上げる。何処で会ったのだろう。このまま別れるのは惜しい気がして、言葉を探した。焦るほど、引き出したい言葉は底へ沈んでいく。かといって諦めたくなくてアエカはその場を動けなかった。
 その沈黙に遠くから呼び声が届く。通りの向こう、顔が僅かに判別できるほどの距離から呼ばわるその声には聞き覚えがあった。
「アエカ様!!」
 無意識に振り向いて、しまった、と後悔する。目の前の人はくすりと笑った。
「君を、呼んでる?」
「……はい」
「そう。 行ってやった方がいいんじゃないか? 慌てているようだ」
「あぁ……そうですね」
 気まずく視線を下げる。それを合図にしたように、その人が踵を返したのを空気で感じた。はっとして、目を上げて追うより早く、呼び声は更にアエカを呼んだ。
「アエカ様! ……やっと追いついた……お元気なのは結構ですが、お一人で歩かれるのはお止め下さいっ」
 顔を不機嫌に歪めてアエカは呟く。
「ちぇ。うまくいったと思ったのにな」
 軽く息を上げて駆け寄った男は、恨めしそうにアエカを睨んで言った。
「キラ様が連絡して下さらなければ、追いつけませんでしたよ」
 その言葉にふと振り返ると、今しがた走ってきた道からキラが小走りにやって来るのが見えた。盛大に顔を顰めて迎える。
「謀った、ね?」
 にこにこと朗らかに笑うキラに拗ねたような目を向けた。笑っていながら、見下ろす瞳に譲れない硬さが宿っている。
「独りでシャトルを降りてきたのを咎められなかった時に、気付くべきだったんじゃない? 最大の譲歩をしたつもりだよ。謀ったんじゃない、それが僕たちの仕事なんだ」
 ちらり、とアエカを呼ばわった男を見遣ると、実に渋い顔をして目を逸らした。キラも気の毒そうに見遣ってから、アエカを見据える。
「……続きは人の目の無いところでしようか。残念だけど、君はただの子供じゃないし、ただの子供にはなれない。少なくとも今のところはね。そう……だから、個人的な事は隠したほうがいい」
「……続く、の?」
 おずおずと上目遣いに尋ねるアエカのそれは、まさに叱られる子のそれでキラは思わず噴きそうになるが、その無自覚さに対する憤りにも似た危惧の方が上回った。自然、眉が上がる。
「当たり前でしょ。間違いは正されるべきだよ?」
 うん、と小さく頷いて項垂れるアエカにそっと手を伸べた。行こう、と促せばゆっくり歩を進める。苦味が、じわりと胸に広がった。我を通さず、抵抗もせず、素直に動くのは、いけないことをした自覚があるからだろう。子供に自重を求めるのはそれだけ難しいということか。
 いや、子供でなくても。 そう思い起こして、キラは苦笑する。
「全く。アエカの行動力は母様譲りだね。その行動力で動かれたら、僕らは君を守りきれない」
 小さく降ってきた言葉にアエカは俯いた。その言葉を脳裏に刻んで。