21

「……あのさ、キラ」
 穏やかな潮風が耳元を掠めていく。浜から運んだ子供たちの歓声は柔らかく、明るい陽光を心に運んだ。
「うん?」
 振り向いた笑顔は眩しそうに目を細めている。
「お前、帰って来過ぎじゃないか?」
 キラを見据えるカガリに、後ろでくすりと笑う声が聞こえる。導師だ。
「ここは彼の家ですよ」
「うん、そうだけど……」
「それに今回は私用じゃないし」
 海へ戻した視線の先には、風に膨らむ桃色の長い髪。子供たちに混じって浜へ降りた姿は、ここで暮らしていた頃と何も変わらないように見えた。テラスに出てそれを眺めるキラの姿も、時が止まっているような錯覚を起こさせるほどだ。
「僅かな時間でも見出して、親に顔を見せに来る。この上ない親孝行ですよ」
 振り返れば、導師はいつもの穏やかな顔で微笑んでいる。曖昧に相槌を打って顔を背け、小さく息を吐いた。
 僅かに心が痛む。ささくれの剥けるような僅かな痛み。だが、それは無視できなかった。
「……済みません。配慮に欠けましたね」
「いいんだ。誰を親と呼んだらいいか、今ではもう、よく、分からないから」
 軽く自嘲気味な笑みが漏れる。哀れむようなキラの顔にじわりと苛立ちを感じた。お前だって、本当の親は……
「キラ。お前さ」
 真剣に問うているだけなのに、苛立ちの所為で少し怒っているように見える。そんなカガリを、キラは正面から見据えた。
「何?」
「……メンデルが今、どうなっているか、知らないか」
 唐突な問いに息を呑む。忘れかけていたその名に驚いてもいた。実際、それが何を指し示すのか理解するのに時間を要した。何故、今その場所を思い起こすのか見当が付かない。答えに窮した。
「あれから調査していないのか?」
「うん。メンデルには行ってない。ダコスタさんが行った時にはもう資料は殆ど残ってなかったって言ってたし。デュランダル元議長のほうには捜査が入って……殆どを接収されたんじゃなかったかな。どうして、メンデルのこと?」
 うん、と小さく返事をしてカガリは口篭る。やがて思い切るように息を吸い込んだ。
「あの人の罪を、終わらせたい」
 何のことか俄かには理解しかねた。デスティニープランやその辺りのことを訊かれたのだと思って元議長の話もしたのに、どうやら違ったらしい。
「あの人、って……?」
 その問いにカガリはキラを睨んだ。射るような瞳にどきりとして息を呑む。
「ヒビキ。……ユーレン・ヒビキだ」
 空気が凍った。導師でさえ笑みを引く。その声の硬い響きが突き刺さった。カガリは皮肉に笑う。
「私達の、生物学的な父親だ」
「なんで……?」
 メンデルは、ただ足懸かりとして示されたに過ぎないことに気付く。あるいは、その研究と資料の全容と行方、後継者の有無、他諸々を包含していたのかもしれない。真意を測りかねて言葉を呑んだ。
「彼は罪を犯した。違法と知りつつクローンを生み出し、完全なコーディネイターを作り出そうとした。もし、それが今も続けられているとしたら、それはまた世界を混迷させる」
 びくりと体が震える。クローンと対峙した記憶が蘇った。同じ“鉄の子宮”から生まれた子供のことも忘れたわけではない。歪められた生命を生み出しておきながら、それを排斥しようとする社会。反発する完全に近い有能な個体。
 確かに、そんなことがあれば世界は混迷を極めるだろう。
「それは……。だけど、どうする気?」
 勁い光を宿した瞳が真っ直ぐにキラを見た。コーディネイターだと知っても、人から生まれたのではないと知っても、変わることの無かった眼差し。有難いと感じながら、血を分けていることを少し誇らしく思いながら、それ故に独創的であったり、突飛であったりする彼女の大胆さにはらはらさせられた。今もその胸のざわめきを感じている。
「ユーレン・ヒビキの係わった研究の全てを破壊、および抹消する」
「なっ 」
 その発想はキラを驚かせるに十分だった。
「私達は、平和を目指しながら争いの根本に目を向けなかった。あまりにも極論で、子供じみていて、それは暗黙のうちにタブーとされてきたんだ。でも、それが争いの一つの大きな原因であることに変わりは無い。コーディネイターが未来永劫、繁栄できる人種ではないことが明らかで、ラクスの言うように争わなくともよかった存在なら、融和を目指せばいいんだ。……それには、ヒビキのクローンや鉄の子宮は障害だ」
「でも、それは ! 僕は……」
「確かに、乱暴なやり方だ。だが、ヒビキの子であることを知った以上、私には関係ないとは、言えない」
 言葉無く極まり悪そうに俯いたキラを静かに見据える。
 結局――。
 “知った”だけで、気付いてはいなかったのだ、とカガリは思った。実際、受け留めるだけで精一杯だったのかもしれない。いろいろなことがあった。その中で自分の生い立ちを望まずに知って、掻き乱されたのはよく知っている。
 だが、歳月は流れた。
 それを嚥下するのに充分な時間。この血を持つこと、それを知らされたことを自覚すべきだ。何も知らされずに成長しながら、何も知らずに生きることを許されなかった意味を。
「知っているか?」
 ちら、と視線を上げるキラに、僅かに口角を上げてカガリは続けた。
「ある国の神は、人の罪の報いを七代先の子孫にまでもたらすそうだ。
 それを信じるわけではないが、私達は戦争という形でその“罪”の報いを被っている。それなら、私は“父”の罪を雪ぎたい」
「カガリ……」
 呆然と、言葉の意味すら呑み込めないというよう見返すキラから視線を外す。押し黙った導師をちらりと見遣って、語調を和らげた。
「すまない。びっくりしたよな、急にこんなこと。だけど、ずっと気になっていたんだ。戦争を終わらせること、平和を作ることに必死になって、何かを見落としているような……。それは、それが世界の大前提だと思っていたからだけど、世界は元々こうだったんじゃなく、ナチュラルとコーディネイターに、生まれ付いて引き裂かれた状態に造り替えられただけなんだって気付かされた。私達は戻るべきなんじゃないか? 人が、人であった世界に」
「そうですわね」
 柔らかな声が届く。テラスへ上がってくる、話題の重さとは正反対の微笑み。
 ぎょっとして見返すキラと、その微笑を映すカガリと。その、一見似ているとは言い難い姉弟を瞳に映して、世界に翻弄された彼らの出自を思う。完全な個体は父の夢、摂理に従った母の愛。別けられた二人の邂逅は、ナチュラルとコーディネイターという人の括りを取り払うための運命だったのではないか、そんな風に思えてくる。
「やがて滅び行くものなら、優れた特性など個人のエゴ。あるべき姿ではないのですわ。立ち返るべきだと、私もそう思います。」
「ラクス?! 何を言ってるの? 君は僕を、コーディネイターを否定するの? 君自身も!?」
「いいえ、キラ。否定するのではありませんわ。間違っていると思うのです。そのことでどれだけの痛みを味わったか、貴方は忘れてしまったのですか?
 ……三代も保たないなど、まるでF1種。能力を利用されるだけの子供たちを生み出して、その親もまたそんな子供たちで、しかも命を継いでいくことが出来ない。循環しない命を、仕組みを維持するためにただ作り続ける……それが社会と呼べるのですか? 縦しんばそれが社会であっても、近い将来、崩壊することは明らか。ですから今、崩壊を見る前に立ち返るべきではないでしょうか。人の、あるべき姿に」
 慈しむような柔らかな表情で述べられたそれは、酷く重苦しく思えた。それではまるで自分の生が罪であるかのようだ、と感じたからかもしれない。
 ラクスを穏やかに一瞥してカガリは子供たちに視線を投げる。大きく手を振って呼ぶ子等に手を挙げて応えた。手招きする子等に瞳を輝かせ、弾かれたように駆け出すその背中を、キラは遠く感じた。目指す世界が変わっている。この、人の違いは当然あるもの、個性として受け止めて平和を目指していたはず。それが実は、暫定的な、一つの段階でしかなかった。最終的な世界としてそれを目指した心は、容易にはその先を見ることが出来ない。
 だけど。
 遠い昔から、理解が深まれば人は国や地域を越えて入り混じっていく、と歴史は示している。それも有りかな、ふと思ってキラは仄かに笑った。