22

 その廊下の窓は嵌め殺しで、長く連なる様が列車のようにも見える。7階分の天井を打ち抜いたその空間に巨大な人形が立ち並んでいた。
「よう、キラ! こっち、こっち」
 ぼんやりと窓を眺めていた目を呼び声へ向ける。廊下の向こうで大きく手が振られていた。
「悪いな。基地の整備が遅れててさ」
 明るい大きな声は別段それを悪いと思っているようには聞こえない。その朗らかな笑顔が妙に懐かしく感じられた。
「いえ。無理を言ったのはこちらですから。済みませんでした。……お久し振りです、ムウさん」
「総司令殿にはこのような場所までお越し頂き、恐縮であります!」
 急に畏まった言葉に驚き、苦笑した。折れた廊下を先へ促すムウに冗談半分に呼応する。
「善処に感謝します、艦長」
 やや黙してムウが噴出した。そうして笑いあう。
「ただの甘ったれた坊主だったお前が、まさか総司令とはねぇ」
 軽く粘るような視線でムウはキラを見据えた。
「もう昔の話ですよ。ムウさんこそ艦長だなんて、意外です」
 ああ、と軽く呻って廊下の先の扉を開ける。半身で入室を促すそこは広く、陽光が溢れていた。前方の壁はガラス張りで、開けた海原が眼前に迫っている。思わず目を細め、柔らかく溜息を吐いた。
「全くだ。いくら新組織とはいえ、柄じゃないよな」
 そう言って手近な壁に寄りかかり、ムウは軽く鼻を鳴らす。キラは惹かれるようにガラスの壁に近寄った。
「だが、序列からいけばマリューじゃなく俺が艦長だったんだぜ」
「え?」
「……それこそ昔の話だ」
 ああ、と思わず声を上げて失笑する。戦乱に巻き込まれて出会ったあの時のことだ。つられて去来する様々な思いが心を乱す。焦点の合わない視線を海へ投げた。
「そっちは、……エターナルの人員はそのままなのか?」
 呟くように発せられた言葉に振り返る。向き直ればムウは腕を組んで軽く笑っていた。
「いえ。かなり入れ替えがあります。一応軍属でしたから、そっちの都合もあって」
「だろうな」
 困ったような笑顔はあの頃のままだ。ムウはそう感じて失笑する。体を壁から引き剥がしながら笑みを消すように息を吐いてゆっくりと歩み寄って、眼下の海を見ながら小さく訊いた。
「あいつは、どうしてる」
 意を測り損ねてただ見返す。そのキラの視線を押し返すようにムウは真直ぐにキラを見据えた。
「……アスラン・ザラは。そっちにいるんだろ?」
 思いがけない名に硬直する。一瞬、ムウを凝視しすぐに滄海へと目を逸らした。
「ええ……多分」
 恐らく今は一番聞きたくなかった名。長い月日の間に捻じれて歪んでしまった思い。それをもう、隠しきることが出来なかった。酷く醜い顔をしているだろう、そう思うから、ムウに顔を向けられない。
「多分、て」
 嘲笑にも似た軽い笑いが混じる。燻ぶる気持ちに押さえ込まれるように俯いた。
「知らないってことか? お前、友達じゃなかったのか?」
「……分からないんです。どこにいるのか、何をしているのか。本国に行くと聞いた時は、すぐに戻って来ると思ってました。でも、……彼は戻らなかった。それどころか連絡もつかなくなって」
 毒吐きそうになって口篭る。ムウの眉が顰められた。
「なんだ、それ」
「あの時エターナルにいた皆が、どうなるか気にかけてました。なのに、誰も、何も知ることができなかった。大分経ってから、本部に居るらしいって話がありましたけど、それっきり何も。本当に本部に居るのか、軍にいるのかどうかさえ、はっきりとは」
「生きているかどうか、もだな」
「!!   ムウさん!!」
 考えようとしなかった可能性を言い当てられて息を呑む。それを聞くとは思いもしなかった。動転し勢い込む。
「まぁ、そう噛み付くなよ、冗談だ、って。俺達だって心配はしてたんだ。どうみたってあの状況じゃオーブに残ったほうが得策だろ? なのに、そう言ったってただ笑うだけでさ。まぁ、ピンクの姫さんが悪いようにはしないだろうが、状況が悪過ぎる。どうなったかと思っていたが……隠匿とは穏やかじゃないな」
「……そうですね」
 見下ろす海は絶えず揺れ動いて思考を掻き混ぜた。奥深くに沈めた思いがゆらりと浮いてくる。
「彼は内政に通じるようになってたから、それを利用したんじゃないかって、本部にいるって聞いた時はそう思いました。……売ったんじゃないか、って」
「それはないだろう」
 あからさまな嗤いが重い空気を蹴飛ばす。
「そんなに器用じゃないだろ、あいつは」
「……そうですね」
「例えばそうだとして、それが何の得になるんだ? 前後してラクス・クラインが議長になっていることを考えると、それにはあまり意味が無いな。……聞いたりしなかったのか? 議長殿に」
 はっとした。そういえば聞いたことが無い。一番可能性が高くて、正確な情報を持っていそうな彼女にその話題を振ったことはなかった。無意識に拳を握りこむ。
「聞く気になれなかったか。姫さんのこともあるし、な」
 視界の隅に薄く笑んだムウが映った。歪む表情を気取られぬように強く拳を握る。
「図星か。お前のことだから、カガリのことで意地になってるんだろ」
 答えに窮して黙す。
 そう、多分そうなんだ。カガリをあんなに傷付けて、独りにして、大事な時に傍に居なくて、そういういろんな事が自分には呑み込めなくて、気持ちの整理がつかなくて……
 許せない。
 頭を擡げそうになる憤りに意図的な無視で蓋をする。
「失礼。……お久し振り、キラ君」
「……エリカさん!」
「お、準備完了か?」
「ええ。 あなたに見てほしいものがあるの」
 キラを見据えてエリカは微笑んだ。
「えっ」
 驚いて勢いよく振り向くキラにムウは不敵な笑みを向ける。その耳に低く振動が届いた。洋上に機影、その数二十。編隊を組んで飛翔するそれには見覚えの無いものが混じる。呆気に取られて凝視するキラを可笑しそうに眺めてエリカは言った。
「旗艦アークエンジェルの艦載機よ。調整中だったんだけど、間に合ってよかったわ」
 事態を把握できずに呆然と見返すとムウに失笑された。
「おいおい、視察に来たんだろ? 基地は見られる状態じゃないが、艦は見ていけよ、折角だからさ」
「それなりに改良もしているしね。できれば総司令の意見も伺いたいところね」
 曖昧な返事が漏れて更に失笑を買う。
「と、いうのは建前で同窓会みたいな気分で来てくれればいいわ。先にみんなに知らせてくるわね」
 言うが早いか、くるりと踵を返し右手をひらひらと振りながらエリカは去っていく。黙って見送っていたムウがぽつりと呟いた。
「機は熟した、といったところか」
 キラにはその意味が分からなかった。不思議そうな眼差しにムウは、なんでもない、と笑う。来た時と同じように、促しながら連れ立って部屋を出る。ちらりと振り返って見た海は、不気味なほど静かに揺れていた。