23

 窓のないその部屋の明かりは消され、モニタの光が淡く横向きに部屋を照らす。建造物が映し出され、外観、敷地、詳細な設計図等の情報が幾頁にも表示されている。それらをゆっくりと繰りながら、ラクスはゆったり微笑んだ。
「地球圏本部に相応しい施設ですわね。ガーディアンエンジェルへの全面的なご協力、感謝いたします」
「治安維持のための抑止力の必要は、私も感じていたからな」
「そうですか」
「キラには先刻、モルゲンレーテへ向かう前に渡してある。ラクスも持っていてくれ」
「ええ。ありがとうございます」
 抜き出した記憶装置を手渡して明かりを点ける。光に慣れるように静かにラクスが顔を上げた。
「私からもお渡ししたいものがあります、カガリさん」
 予期していなかった申し出にカガリはラクスを見据える。
「昨夜、急いでまとめました」
 手渡された紙の束と数個の記憶装置。
「カガリさんの望む世界に、それは必要でしょう?」
 凝視して刻まれた文字の羅列に目を奪われる。
「ラクス、これ……!」
「昨日、気にかけていらしたメンデルの資料ですわ」
 さらりと言ってのけるラクスを得体の知れない何かを見るような目で見た。
「……でも、キラは調査していない、と」
「ええ。キラには内緒でしたから」
「内緒、て……」
 では、どうやって調べたんだ、と問いかけて呑み込む。不敵な笑みはその問いを寄せ付けない。その場所に深く関係しているのに、キラを向かわせなかったことが、不自然に思えてならなかった。
「キラはあそこで生まれたんだろ? だったら、……寧ろ知る必要があるんじゃないのか?」
「だからこそ」
 刹那、笑みを引く。その残像に重なる微笑が心を波立たせた。
「キラには任せられなかったのです。昨日のキラを、覚えていらっしゃいますか?」
「ああ……」
 ヒビキの名を出した時の驚き方、融和を目指そうと言った時の困惑した顔、メンデルの名にすら反応の薄かったキラの態度が思い起こされる。
「私達とは違う世界にいるのです。家柄も国も、彼には興味の薄いもの。メンデルを調べる意味も必要も分からないでしょう。キラが目指したのは、今、目に見える平和。戦争の根絶ではありません。出会った頃から私が言っている、未来を生み出せない私達は進化した種などではない、という事も、彼にはおそらくほんの知識程度の意味しかないのです。ですから、同胞として融和を目指すと聞いたとき、否定されたと感じてしまった。自らの原点を破壊すると聞いたとき、動揺を隠せなかった。
 ……そのような者に調査させれば真実は歪み、動揺に事実は曇るでしょう。ですから、キラには外れて頂きました」
「そっ……か」
 淡々と語るラクスに、当を得ていると思いながら、納得のいかないまま歯切れの悪い返事をして、紙の束に目をやった。施設の細部にまで及ぶ詳細な情報と、そこで行なわれていた研究の概容、集積された実験結果や資料がびっしりと書き込まれたそれに辟易しながら、緻密で周到な仕事ぶりはラクスらしい、と感服する。
「殆どの資料は私の手元にありますわ。お引き渡しの用意も出来ています」
「……よくこれだけ集めたな。殆ど残っていなかった、と聞いていたが」
 ぱらぱらと紙を繰りながらカガリはちらとラクスを見る。小さく頷くのが見えた。
「ええ、残っていませんでした。メンデルには」
「え!? じゃぁ、これは……? メンデル以外の場所にあった……のか?」
 向けられた微笑は肯定を示していた。すっと背筋が冷える。
「私も、そこに残された知識と施設は危険なものとなり得ると感じていました。ですから、少しずつ調査を進めていたのですが。あのノートと一緒に、デュランダル氏が持ち去っていたようです」
「なんだって?! ……あ、じゃぁ……接収したって……」
「ええ」
 満面の笑顔が眩しい。まるで問の正しい答えを提示した生徒に対する教師のよう。
「殆どがあの施設での研究資料です。もう少しで私達は、人の人たる所以である自由意志を奪われていたかもしれません」
「本当に……精神の侵略どころの話ではなかったのだな」
「そういうことですわ。カガリさんは先見がおありになる、と私、感心いたしました」
「あれは! お父様が言ってたことを…… 違うだろ、先見とはっ 」
 思わず粗野な言葉を投げつけるカガリに、一頻り笑う。脹れて横向いたカガリを見据えてラクスは声を落とした。
「ですから、私の計画にも賛同してくださるに違いない、と思っているのですけれど」
 時が止まったように感じる。それは唐突で、意外な言葉だった。瞬時には理解できず、まじまじとラクスを見返す。
「……計、画?」
「ナチュラルとコーディネイターという、人の括りを取り払うための計画ですわ。私達は確かに違います。けれど、それ以前に同じ人類です。鬩ぎ合う二つの種などではない筈。その違いが争いの元になるなら、いっそ一つに。ナチュラルとコーディネイター、そんな違いに引き裂かれた世界を元の一つの世界へ。
 コーディネイターを生み出す技術を封印し、友好のうちに融和を目指したいのです」
 瞬いて暫し見詰め合う。その意味を窺うようにカガリはラクスを見据えた。
「昨日、お話を伺っていて、私達の目指す世界は、同じ、と感じたのですが……違いますか?」
「いや。そうだな……多分、同じだ」
 釈然としないまま、問いに答えて考え込む。ただ単に、ヒビキの為してきたことを否定する自分に同意したのではなかったのだ。そして、それを抹消するだけでは終われないことをラクスは知っていた。この資料の存在はそれを明示している。
 ――ならば彼女は、これから更に行動を起こそうとしている筈だ。
「何を……するつもりなんだ?」
 “父”の罪を雪ぐ。その目的を意識しただけのカガリには、ラクスの為そうとしていることが見えてこなかった。
「メンデルやそれに関連した情報の吸い上げは完了したと考えています。技術を封印する準備は整いました。施設の破壊に関しては、これは何とでもなります。後は、融和、なのですが」
 ラクスにとってこれは一連の流れの経過でしかない。彼女が順を追って処理してきた事柄の中に、カガリは飛び込んでしまったのだ。しかも、絶妙なタイミングで。その融和に関しても、ラクスは既に構想を練っているのだろう。この流れに呑み込まれるように見えても、それに乗ってしまう方が賢明だと思われた。流石はコーディネイターと言うべきか? これが運命であれば皮肉だ、とカガリは薄く笑った。
「声明を出しませんか? 共同で。私達の目指す世界を示しましょう」
 肯くより他になかった。自分が漸く進む決意をした道の数歩先をラクスは進んでいたのだ、とカガリは思う。ガーディアンエンジェルも、この道を進むための布石なのに違いない。
「そして、融和を成し遂げているオーブの体制を学ばせていただけませんか」
 ラクスの真直ぐ覗き込むような瞳に、カガリは息を呑んだ。
「学ばせて、て……」
「私の住むプラントは、殆どがコーディネイターのみを住民とする排他的なものです。融和とは程遠い……。ですから、コーディネイターとナチュラルが共に住み、共に生きている社会を学び、そのシステムを取り入れることが融和への一歩になるかと」
 戸惑いに焦点のぶれたカガリの瞳に、ラクスはくすりと笑う。
「すぐにお返事を頂こうとは思っていませんわ。先に資料をご覧になりたいでしょうし」
 どこか上の空な返事が漏れる。ああ、やはり、とラクスは思った。
 目指した世界は恒久平和。それに近づくための目標を見つけた。そう、見付けただけなのだ。そのために何をしたら良いかは未だ考えていない、といったところか。
 間違ってはいないのだけれど。 ラクスは薄く溜息を混ぜて笑った。
 正しいと思ったことを口にする。それは必ずしも悪いことではない。けれど、立場から言って少しは考慮して欲しい、と思わないでもない。ただ、今回ばかりは、カガリがヒビキを正すと言ったことで、水面下で進めてきたこの計画が、格段にやりやすく、飛躍的に進むであろうことは否定できない。
 互いに補い合っている……そんな風に思える。
 新たな世界はこんなに近くに、自らの中にさえあるのだ。こうして同じ場所を目指していけるなら、和音を幾つも重ねて大きな流れに、新たな世界を大きく広げていける。目指すべき世界の概観を、ラクスは見た気がした。