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 差し込んだ小さな記憶装置に端末が呻る。そうして表示された情報に目を通してカガリが唸った。
 記されているラクスの言っていた“計画”の全容は、想像をはるかに超えていた。それは条約を締結してからずっと、 綿密な計画の下に進められた周到な準備だった。最終的に目指すのは、コーディネイターのナチュラルへの回帰。それは、恒久平和への一つの道として掲げられている。
 しかし。
 実際それは、ブルーコスモスのような極端な感情を持つ者にしてみれば、平和的な侵略。コーディネイターに縁る侵食。 戦時ならば、手段を問わず為せるであろう、それ。平和裏にとはいえ、それを目指そうとすれば、混乱は必至。コーディネイター側の反発も避けられない筈だ。あの、大戦の時のようにいがみ合うだけの結果になりかねない。そう薄らと思った。
 だからなのだ、と、ふと思い当たる。先ず自らを正してから、とラクスが言った理由はここにあったのだ。コーディネイター側の、ナチュラルに対して過激な感情を持つ者たちの抑止。それがどうしても必要になってくる。 力に依らない解決が望ましいのだろうが、その思想が過激なだけに穏便な対処では収拾のつかない事態も有り得ることが 容易に想像できる。そうしてまた争いの火種が生まれ――
{パトリック・ザラの採った道こそが正しい、と彼らは言ったんだ……}
 伏目がちにした深紅の瞳はそう語った。あれは条約を結んだ後だった。彼らは頂点に過ぎない、同じ思想の奴はきっと未だ居るんだ。そんな風に言って、唇を噛み締めた。 表面だけを見て反発してきた彼の苦渋の表情。それは意外で、印象的だった。戦争は未だ終わっていない、と言って、それ以上何を語るでもなかったが、彼自身が、為すべき何かを見つけたのだと感じて少し嬉しかった、そんな記憶が蘇る。
 解体か、力の剥奪か、……粛清か。
 いずれにせよ、片がついたから世界的な治安維持に着手している。そう考えるべきなんだろう。戦争が、終わったんだ。シンにとっての、戦争が。強硬で過激な思想を力で以って示したあの一派を、抑え込むことに 成功したのだ。
 ……
 パトリック・ザラの、採った道――その言葉が、木霊のように揺り返す。反芻するかのように、頭の中に何度も繰り返すそれが、錆付き始めた封印の扉を抉じ開けようとする。
 ザラ、か。
 厚い扉の内側で何かが叫ぶ。それは多分、あの頃の自分で、あの頃とても大事にしていた何かを抱えて叫んでいるのだけれど、今はもう何を叫んでいるのか分からなかった。ただ、僅かに伝わる空気の振動を痛みの様に感じて少し苦しい。安否を気遣うことすら、無くして久しい。それほどまでに、もう、遠かった。
 あれは、一体何だったかな……ぼんやりと思いながら、思い起こすことさえ煩わしい、そんな気がした。
 そんなことより。
 ラクスは声明を出そうと言った。それは、オーブ・プラント間の協力的な体制について確認し、これから世界的規模で 進めようとしているその計画を共同で推し進めていこう、という内容になるだろう。
 曖昧とはいえ肯定を、否定の返事をしなかった。少し、後悔している。間違っているとは思わない。でも、性急ではないだろうか。融和の前に、理解が、いや、理解の結果として融和があるのではないか? だから、歪みを生み出してしまうその技術を葬りたい、と思ったのだ。
 ミナは、何と言うだろうか。また“独裁”と言うだろうか。


 暫くそこで逡巡していたカガリの耳に、軽く扉を叩く音が聞こえた。
 この音はアエカだ。そう直感して時計に目をやる。22時30分を軽く回っている。何かあったのか? 急いで扉を開ける。
「どうした? こんな遅くに」
 所在無さそうに縮こまり、縋るような目でアエカが見上げてくる。
「母様」
 中へ招き入れる。おずおずと進められる歩が、その胸を締め付ける事柄の大きさを物語る。
「多分、なんてことないことなんです。でも、じっとしてられなくて。ごめんなさい、邪魔しちゃったよね」
「大丈夫だ、気にするな。それより、何があったんだ?」
 申し訳無さそうに縮こまったまま勧められた椅子に座る様は、本当に小さく見えた。
 大きくなった、と思っていた。しっかりしているようにも感じていた。頼もしく思えることさえあるその子供は、身長が120cmを超えたばかり。実際、まだまだ小さいのだ。
「僕、……」
 言い淀んで、言って良いのか未だ悩む素振りを見せる。気持ちが鎮まるまで黙って待つ。
「僕、飛び級することに、なりました」
 全くの予想外の言葉に目を丸くする。恐る恐る見上げてくるアエカをじっと見据えた、まるで意味が呑み込めないとでも いうように。そして、破顔する。
「凄いじゃないか! アエカ。お前、優秀なんだな」
 つまらなそうにちらりと視線をよこして俯いた。気に入らないらしい。
「来年度から、六年に編入すると先生に言われました」
「え?」
 いきなり四年も? と思わず口にすると、顔を顰める。それは確かに戸惑うかもしれない。
「卒業って言われたんだけど、流石にそれは嫌だと思って。未だ、学ばなければならないことが沢山ある、って、僕は思ってるのに」
 苦渋が滲む声音に胸が痛む。そういえば、アエカは成績にあまり興味がなかった、と思い起こす。興味がない、よりは、無関心と言ったほうが適切かもしれない。意欲的に学ぶが、それは評価を気にしてではなかった。だから本人にとっては過大な評価と受け取れるその提案を、受け入れられないで困惑しているのだろう。
「でも、先生がそう言うのなら……お前が学校で学ぶべきことは学んでしまったんだろう」
 口篭り、腑に落ちない風に首を傾げて沈黙する。そして意を決したように勢いよく目を上げる。
「母様、僕、本当にナチュラルなの?」
 見据えてくる瞳に勁い光が篭る。曖昧な答えでかわされぬように釘を刺しているようだ。
「ああ。ナチュラルだ。この母の子なんだから」
 ずっと自分に言い聞かせ、アエカにも伝えてきた言葉を繰り返す。実際、それは寸分違わぬ事実なのだ。
「先生は、月の学校のほうが合っているんじゃないか、って。僕は……」
「月?!月って……コーディネイター、の?」
「うん、そうだと思う。でも僕はナチュラルです、て言ったら黙ってたから。だけど、それって、その、コーディネイターの学校でもついていけるって思われた、ってことだよね?」
「…… 」
 その通りだ。でも、それを言葉にすることはカガリには出来なかった。その先に待つものに触れたくない、そんな気がした。
「実は、父様がコーディネイター、とか」
「何言ってるんだ。あいつが、そんな訳ない!」
 吐き捨てるように言って顔を背けた。それは苦々しく、嫌悪に満ちている。
 あの馬鹿が、ユウナがコーディネイターだったら、こんなに犠牲を払わずに、もっとマシな終戦を迎えていたさ。
 ぼそりと呟く声が聞こえて、アエカは萎縮した。あからさまな溜息が聞こえて爪先を見る。
「なぁ、アエカ」
 そう呼びかけたカガリは視線を窓へ向けていた。月明かりが薄らと差し込んでその横顔を照らす。
「個性、て分かるか?」
「……はい」
「人にはそれぞれ個性がある。喧嘩っ早い奴もいれば、優しい奴もいる。それはナチュラルもコーディネイターも同じだ。能力にしたって、コーディネイターでも低い者がいるし、ナチュラルでも高い者もいる。最近は、コーディネイターとは名ばかりで、何の特性も持たない者も出てきているという。最初の違いが大きかったから、そういう分けられ方をしているが、ナチュラルだから、コーディネイターだから、と一概に言えないものの方が多いんだ。本当は」
 振り向かない横顔に、アエカも窓を見る。くすり、と笑う気配がした。
「……父様のこと、コーディネイターだったら、なんて言い方、間違ってるな。向いてなかっただけだ。遺伝だけで全てが決まるわけじゃない。誰にだって得手不得手がある。アエカは勉強が得意だ、それだけのことじゃないのか?たまたまコーディネイターと同じくらい出来たからって、出自は変わらない。それは、お前の才能だ」
 難しい言葉だった。
「分かった。……だけど 」
 視界の隅にアエカを見てカガリは思った。浮かない顔。理解は出来ても納得は出来ない、て言うんだな。全く。
「……綺麗な月だな」
 小さく頷く気配がして、沈黙が流れた。
 ――血は、争えない――アエカが生まれてから何度も繰り返した言葉を、また胸の内に呟いた。