28

「カガリ、今日はありがと。僕、こういうの苦手なんだよね、助かっちゃった」
 会食を終えて、招待客が大方帰ったところでキラは小さく呟いた。
「お前なぁ。何年ラクスの傍に居るんだ? いい加減慣れろよ」
 横目で睨めつけるようにしてカガリは鼻で笑う。
「次は、一人だぞ」
「うん。分かってる」
 最後の一人が握手を求める。それに応えて微笑み、形式的な挨拶をして見送った。がらんとした会場は喧騒の跡を残して音をなくしていく。薄く笑ったキラの瞳は少し心許なさそうに揺らいだ。互いにごく小さく溜息を吐く。
「カガリはすごいね。ずっと、こういう仕事もこなしてきたんでしょ?」
「ああ。お前に出会う前からな」
 ちら、と視線をよこして、ふと笑った。そんなカガリを、キラは眩しそうに見詰める。
 行儀も作法も完璧。何気ない仕草にも神経が行き届いている。手の処し方に見惚れてしまった。美しいとさえ思った。普段の彼女を知っているから、この落差にどきりとする。彼女が姉であることを惜しんでしまうくらいに。
「なぁ、キラ」
「うん?」
「この後、少し、いいか?」
 躊躇いがちによこす視線に、また心臓が跳ねた。僅かに上目遣いで視界の隅に入れるような曖昧な視線。問われた意味を見失う。
「なに?」
「ちょっと聞きたいことが、あるんだ」
「うん、いいよ。 後で……アスハ邸、でいい?」
 安堵したような微笑みで頷いた。カガリのその、どこか不安げな表情は、先程まで浮かべていた笑顔とはまるで違う。何か、悩み事だろうか。
 じゃぁ、頼むな。と歯切れよく言って去って行った。控えていた秘書たちと合流し、何事か話し合いながら会場を後にする。カガリの姿を漫然と目で追っていたキラの視界に自分と同じ礼服が入り込んできた。
「何、見惚れてんですか。戻りますよ、司令」
 憮然として突き刺すような語調で言ってくるシンにキラは苦笑する。
「だって綺麗になったじゃない、カガリ。そう思わない?」
「えっ? えぇ、まぁ…… て、アンタ、姉弟だろっ?!」
 シンは顔を赤くして声を荒げた。可笑しそうにくすりと笑う。
「姉弟とか、そういうの関係ないでしょ? 君だって、妹が可愛くて仕方が無かったんじゃない」
「!……   まぁ、そうですけど」
 一瞬にして沈黙が降りた。表情が翳る。自然、力の篭る拳に声が掠れた。知らなかったとはいえ、消してしまったその命の重さは今もなお後悔を生む。
「ごめんね。僕のせいで……」
「…… そういう問題じゃないでしょう? もう、言いっこなしですよ」
 俺はあなたを墜として、けりをつけたんですから。そう言い放って見下すようにシンはキラを上から睨めつける。キラは憂うような顔で少し笑った。
 歳月が過ぎてそれほど痛まなくなったということか、割り切れるだけ大人になったということか。シンを眩しそうに眺めた、一瞬だけ。
「そうそう。この後、僕、アスハ邸に呼ばれてるから。先に戻っててくれる?」
「はあ?!」
 響き渡る大声に肩を竦める。
「こんな遅くに?!」
「非公式だから、誰にも言わないでね?」
 くるりと背を向け、足早にその場を離れるキラに、シンは非難を浴びせる。そのがなる声にキラは笑って手を振った。悪態と盛大な溜息を吐いて、仁王立ちで見送る。少しだけ羨ましくて、シンは切なそうに一寸笑った。


「あ」
「早かったね、カガリ」
 アスハ邸の前で鉢合わせた二人は思わず笑った。まるで示し合わせたよう、引き合わされてでもいるようだ。
「待ってくれ、今、開けるから」
 彼女についている護衛が門の警備を外す。並んで中へ入った。
「呼ばれてるって言ったら、『こんな遅くに?!』て、シンに怒られちゃった。……何か困ったことでもあったの?」
 控えめな照明で表情を窺うのは難しい。ただ、笑ってはいなさそうだった。キラからも自然と笑みが消える。
「……いや。そういうことじゃない。ちょっと聞いておきたいことがあるんだ」
「そう」
 邸内は静寂に包まれていた。アエカは既に就寝しただろう。そんな時間だった。そっと音を立てぬように歩き、リビングに辿り着く。連絡を入れてあったのだろう、弱い間接照明が点され、僅かに人の温みがあった。軽く整えられ、ティーセットも既に用意されている。人払いを命じたのであろう事が窺えた。
 そんなに大事なことなのか? 問いたい気持ちをぐっと抑えて、勧められた椅子に腰掛ける。
「おつかれ」
「ありがと」
 差し出されたカップからは紅茶の芳香が漂う。温かそうな湯気に手が伸びる。そのガーネット色の液体に目を落として尋ねた。
「それで? 聞きたいことって、何?」
 僅かに苦笑して、うん、と呟く。窓の外の、仄暗い闇に侵食されるかのようにカガリの表情が曇った。
「アエカ、変わったと思わないか?」
 視線を合わさずに問うカガリに首を傾げる。
「月に行ってから、何か吹っ切れたような、いい顔をしていたんだ。自分から何か勉強していたみたいだしな。だけど、飛び級するって話が出た頃から悩むような暗い顔をするようになって……今日はなんだか塞ぎ込んでいた。話しかけても上の空で。何かを考えるようになったのは良いことだと思うんだ。でも……。
 月で何かあったのか? キラ、何か知らないか」
 意外な問いだった。ヒビキのことでも言い出すのかと思っていたのに。キラはゆったり微笑んだ。
「確かに。今日会って、成長したな、とは思ったよ? すっかり少年の顔になったなって」
 くるりと振り向いて凝視するカガリに失笑する。
「月では別に何も無かったよ。……一人で上がってきたから吃驚したけど」
「何?!」
 掴みかからんばかりに身を乗り出す。そんなカガリを宥めるように手を翳す。
「シャトルに一人で乗ってきただけだよ、僕たちもすぐに合流したし。何かあったようには見えなかったけど。
 それに、もう時効」
 そんな掘り出して怒ったって逆効果だよ。穏やかに諭して笑みを向ければ、分かっている、と不貞腐れて頷く。
「あいつ、“ある人に『世界を学ぶといい』と言われ”た、と言っていた。それで、国や戦争のことを知らないって気付いた、て。その時はそうなのか、と感心した。でも、その一言で国や戦争を意識するなんて……級友や教師では、無いよな。
 軍とか仕事仲間に会わせたり、しなかったか?」
「……してないよ。僕は、ね」
 キラは意味有り気に言葉を切ってカガリを見据えた。
「! じゃぁ」
「ずっとアエカに張り付いてた訳じゃないから、分からないよ。だけど、……来るなり、“僕、半分コーディネイターなんじゃないか”なんて言うから焦ったな。そういう時が来るかもとは思ってたけど、早かったね」
 言って、カップに口を付ける。ゆったりと構えた、暢気にも見えるキラの態度がカガリを刺激する。
「なっ、お前にも言ってたのか、それ!なんで」
「何か知らないか、て言うから、父様もナチュラルのはずですよ、て答えておいたよ。僕から言うことじゃないもんね?」
「あぁ……」
 カガリは額にかかる髪をぐしゃりと無造作に掴んだ。
「カガリ、知ってて月に行かせたでしょ。アエカが一人で宇宙に出てみたいって言った、本当の理由」
「本当、の?」
 じっとカガリを見据えてキラは問う。カガリは真っ直ぐにキラを見返した。
「あれ? 気付いてないの? 彼は、父親の影を探していたんだよ」
「!」
「それで、その経緯で誰かに会って、だから、“世界を学べ”て言われたんじゃない?」
 黙したままキラを見据えるカガリの瞳が大きく揺れる。
「多分アエカは、月に行ったことで変わったんじゃない。もともと何かに気付いていて、それを確かめに行った。そして、良い意味で何かを掴んだんだ。だけど、飛び級の話が出て、悪い方の何かも掴んでしまった。
 気付いてしまったんじゃない? カガリの嘘に」
 拒絶するように目を伏せた。カガリは暫くその沈痛な面持ちのまま何かを考え込んでいるようだった。ふ、と小さく溜息を吐いて面伏せる。キラはごく穏やかに呟いた。
「化けるかもしれないね、彼。豹変、するかも」
「…… そうだな」
 言って、カガリはくすりと笑う。背を伸ばして大きく振り仰ぎ、窓の外へ視線を泳がせた。
「聡いな。……いつまでも幼子ではない、てことか」
「だとしても、末恐ろしいくらい聡い子だね。カガリから生まれたとは思えないよ」
「何ぃっ。もう一回言ってみろ、キラ!」
卓に手を突いて立ち上がるカガリに、キラは手を振り翳す。月の無い朔の闇にくすくすと笑い声が響いた。