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 数日して、ラクスはオーブから声明を出した。それは、地球圏との積極的な交流と交易を以ってコーディネイターとナチュラルの相互理解と友好を築き、対等な関係を望むというものだった。
 オーブはその目指すところに於いて同意し、全面的な支持と協力を表明した。もとより友好国であり、言うまでもないと言えばそれまでだが、敢えて公表することによってその体制を確認、更に世界へ拡げる意向を示したと言える。オーブはその中核に在って根幹を成し、そこから偏見と蔑視の無い社会を浸透させようというのだ。寧ろ、台風の目となって世界を巻き込む、と言った方が適切かもしれない。現にラクスは、プラントにオーブの理念に倣った法体系を築き始めていた。同様の変化を他国へ求めようという気は無いと明言しているが、基準あるいは指針と見做していることが窺える。その力、その手に握られたものの大きさを鑑みれば、影響力は無視できない。自らが変化することによって諸国を感化し、そうして分け隔ての無い世界へと社会を形成しようという目論見なのだろう。
「議長」
 演壇を降りたラクスにダークスーツの男が声をかける。目線で答えてラクスは耳を傾けた。
「作戦は成功です。予定通り崩壊が進んでいます」
「そうですか。カガリさん」
 にこりと微笑んでラクスはカガリを見遣る。カガリは頷いた。
「では、次の段階だな」
「私も戻りますわね」
「うん。忙しくなりそうだな」
 見合わせて笑った。極秘裏に進めていたメンデルの解体が成功したのだ。
 あの“計画”をカガリに明かしたその日から、ラクスは直属の特務隊を組織し、メンデル解体計画を遂行してきた。極秘であるが故にそれは偶然を装いゆっくりと静かに進められ、ガーディアンエンジェル発足の陰で重要な局面――崩壊――を迎えたのだ。あれだけの物が崩れていけば、すぐに世界の知るところとなるだろう。それ以前に、いくら安定軌道上にあるとはいえ、深刻な問題ともなり得る。迅速で適切な対応が求められる今、国主は国にあるべきだ。ラクスはその足でシャトルに乗り込んだ。
 カガリは見送りもそこそこに執務室へ向かう。モニタにメンデルを呼び出して観察する。
「流石、だな」
 崩壊とは言っても、それは緩やかなものだった。浮遊するように剥がれてゆく外壁、僅かに覗く折れたシャフト、よく見れば全てが残骸。だが、未だ原形を留めている。軌道を外れて飛んでいくような部分も無く、直ぐに対処が必要なわけではないようだ。
 どうやったらあんな静かな崩壊をさせられるのか、と感嘆しつつ僅かに呆れながら回線を開く。
 アメノミハシラへ。
「ロンド・ミナは居るか」
 間髪おかずに返答があった。
「遅かったな、カガリ・ユラ」
 揶揄するような笑みを含んだ声に溜息を吐く。いくら直通とはいえ、そのタイミングは待ち構えていたと言うべきだろう。
「そうまで言うなら、知っているな?」
「……メンデルのことであろう?」
 くすりと笑う。ほぼ同時だった。
「こちらはそちらと違って直接被害を受ける。当然だ」
「そうだな。……未だ猶予がありそうに見えるが」
 真顔で問えば、真っ直ぐに刺す様な視線が帰ってくる。
「対応を協議するだけの時間は無い」
「取り敢えず、行って貰えるか」
 ふ、と一瞬笑ってミナはカガリを睨みつけた。それを受けるように、カガリは真摯に見返す。
「相変わらず無茶を言う。……いいだろう。こちらの軍を出す」
「済まない。頼むな」
 瞬間、揺らぐように歪んだカガリの表情にミナは眉を顰めた。それを見咎めるように言う。
「何だ、その顔は。頼んでおきながら不服そうだな」
「っ ……出来ることなら、私が行って、自分の手で片を付けたい。そう思っただけだ」
 感情を押し込めてくぐもった声は僅かに震えた。それが不可能なことを知っているから、どうしても力が篭る。
「……しっかり成り行きを見守っていろ。そして適切な判断を下せ。その判断で我らの行動の是否が決まる」
「分かっている」
 ミナは、にっと笑っていつものようにカガリを見下ろした。
「ではな、主席。あちらに着いたら現状を報告させる」
「ああ」
 回線が切れる直前、上衣を翻して歩み去ろうとする姿が映る。その横顔は未だ笑っていたように見えた。
 また、なんと幼い、と呆れられたのだろうか。未だ自ら出て行こうとする己を嘲われたのだろうか。いずれにしても、執着しているように見えただろう。少し、直情的だったと反省する。
 ――分かっている。もう、自らの手で何かを成し遂げることは無いこと。それでも、血縁のこととなれば、動けないことが歯がゆい。半ば強引に課せられた養父の遺志は、実父の罪を拭おうと行動する事を許さなかった。その事実を知られることさえ、あってはならないのだから。それは肉親の責としてではなく、公の益のため、大儀として果たされなくてはならない。そこに、ナチュラルの、地球圏の人間が振るう権など無い。
 分かっている―― カガリはじっと掌を見つめた。


 メンデル崩壊の報は世界を巡った。アメノミハシラの駐留部隊とプラントの部隊、ガーディアンエンジェルがそこへ向かった。
 緩やかな崩壊は処理を容易にする。残骸の回収は程なく終わり、指示を仰ぐ形で行動を停止、報道のヘッドラインに上ることもなくなった。そして、超国家的な対応を取ることで合意し、後の処理はガーディアンエンジェルに一任されることとなる。再利用も考慮されたが、そこが廃棄された理由を人々はまだ忘れた訳ではなかった。消毒済みとはいえ、再利用には懸念を示す者が少なからずいて、全てを焼却することとなる。ラクスの打ち出す改革を笠に着て、それは密かに行われる形となった。
 太陽へ落とす。
 幾つかの案が考慮されたが、手っ取り早く、効率的で確実だと判断された。数個のブロックに分けられたメンデルは、太陽へ向けて出発、間近まで運ばれて落とされる。そして跡形もなく消えるのだ。
 目指した世界に一つ近付く。こなす通常の責務の陰で薄く笑った。