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くるり、くるりと指先で紙片を弄ぶ。白と色彩の入れ替わりをぼんやりと眺めて、持て余した紙片がはらりと落ちた。色彩を表に落ちたそれには、幼い日の自分と幼馴染が笑っている。心臓を掴まれるような感覚がした。それを初めて見た訳ではない、もう何度も熟視した。なのに未だにどきりとする。
似ている―― 何処かで会ったと感じたその面影、それはかつての自分だった。
アエカ
その響きは虚空に溶ける。幾度かの転居でも処分できなかったそれを荷造りの箱に入れた。そして、荷物と言うにはあまりに少ないそれを見て苦笑する。住んでいたと言うにはおこがましい程、此処へは戻って来なかった。生活雑貨すら揃える間もないほど、それで事足りるほど個人的な用を持たなかったのだ。自ら課した責務、その目的に引きずられるようにして現れ、絡むように付随する任務を果たすのに奔走する日々。惜しみない慈悲と容赦ない叱責を以って受け容れられた罪人は、償いという代価を支払い、悔い改め、生まれ変わらなければならない。その行程を漸く果たし、新たな者として引き上げられる。
こんなことは ――こんな地位は―― 望んでいなかったのだが。
彼女の予定表には、赦された当初からそれは組み込まれていたらしい。にこやかに微笑んでその命を下す彼女が悪魔に見えた。それは枷、罰にしか思えない。社会には常軌を逸した過剰な信頼、行き過ぎた重用に思えるだろう。社会にとって、何一つ新たな者ではない自分。だからその地位は過分であり、地を這うが相応しいと非難を受けるのが関の山。それでも、その苦難を甘んじて受けよと言うのだから、本当に悪魔なのかもしれない。
いや。
断罪とはそういうものだ。
自嘲するように薄く笑って、束ねた髪に刃を当てる。
「あら?」
耳慣れた声が驚いて弾む。無感動にそれを受け止めた。
「切ってしまわれたのですか?」
「ええ。良い機会でしたから」
不思議そうに首を傾ける彼女をちらりと見れば、酷く残念そうな顔をする。
「とても……綺麗でしたのに」
「伸ばしたくて伸ばしていたわけではありませんよ」
「私達、対のようになれましたのに。オーブの代表のように」
盛大に溜息を吐くと、残念ですわ、と拗ねた声を出した。
「それで?執務室に呼び出したからには、何か用ではないのですか」
些か冷えた瞳を向けると、それを見咎めるように一瞬目を細めていつもの笑みを刷く。
「そうですわね。私の腹心の様子が気になったのですわ。官邸には移られましたか?」
「ええ。仰るとおりに。……別に越す必要などないのですが」
さして用事も無い風な彼女の口振りに苛立った。憮然として返す言葉は硬く響く。
「いいえ。久し振りにこちらへ戻ってこられるのです、私の目の届くところに居て頂かないと。貴方も心細いでしょう?アスラン」
「今更……」
今更、何を心配すると言うのか。確かに“表”は久し振りだ。風当たりも強いだろう。だが、そんなのは何処へ行っても同じだ。怖れていても始まらない。そんなことは承知で、だからこそ“国”へ帰ってきたのだから。
「私はずっと貴女の手の中にいたではありませんか、議長」
そして過ちを正し、出来るなら父の罪の跡を拭って生きることを願った。
繰り返した過ちに、生きることさえ許されはしないかもしれないと思ってはいた。だが、彼女はその願いを聞き入れた。軍功があると言い、既に就任が決まっていた議長の権を引き寄せて不問に付した。そしてその対価として戦争の引き金になった彼らの思想を改め絶やすことを特務として課し、地下へ、全ての情報を凍結して地下へ。
時間はかかったが、極端で強硬なその思想は排除した。彼女の意向のままに。
「……まあ、皮肉ですか?ですが、環境も地位も変わるのです、これまでのようには参りません。いきなり暗殺、なんてことになったら私も困ります。私が就任した時のこと、覚えていらっしゃるでしょう?」
「ああ……ええ」
そう、彼女は襲撃されたのだ。一度は反逆者として追われ、地球圏国家と手を結んでプラントを裏切ったとして、保守派勢力の手で殺されるところだった。あの時はイザークが一緒だったか。
「ですから。貴方の場合は敵視する者も排除を願う者も多いでしょうから」
我知らず唇を噛むアスランに慈しむような笑みを投げてラクスは息を吐いた。
「せめて今日だけは、共に議場へ」
「……はい」
ガーディアンエンジェル発足後初の議会は、大きく異動せざるを得なかった軍の人事が目玉となった。否が応にも注目を浴びる。息を呑むような沈黙のざわめきから、あからさまなざわめきへ。それは波紋のように広がった。
「思ったより反応が薄いな」
揶揄を含む声で呟いた隣は振り返らなかった。表情一つ変えないその佇まいはあの頃と変わらない。
「もっと野次が飛んだり弾が飛んだりすると思ったが」
その言には苦笑した。
「まるで混乱を望んでいるようだな」
「貴様が戻ってきているのだ、何事も無い方がおかしいだろう」
指摘する声は厳しく、潜められたそれには緊張が張り付く。尤も、と声は続いた。
「俺が一番殴りたいのが、貴様なのだからな」
思わず視線を向ける。真っ直ぐな銀の髪は薄暗い室内に映えて眩しかった。言葉の激しさに反してそれはぴくりとも動かない。
「こんな人事が通ること自体、どうかしている。議長は何を考えている。だが、それより貴様だ、アスラン。今まで何処で何をしていた。戦犯の息子が、のこのこ軍に戻ってこんな所にまで出てくるとは、いい度胸だ」
ここに至って漸く振り向いた。苛烈な瞳がアスランを射る。低い所で交わった視線は感情を婉曲にぶつけた。
「ずっと軍に居たさ、イザーク。地下だがな」
「地下……」
「時間がかかった。弾が飛んだりしない位には片付いているつもりだ。……議長は、そうは思っていないようだが」
息を呑む気配が伝わってくる。言葉の意を悟ったのだろう、ざわめきの収束に重なるように沈黙が降りる。
挨拶を促す声に立ち上がると、低く笑みを含む声がした。
「お手並み拝見といこうか、ザラ国防委員長」
「ああ」
既に正面を向いた銀髪に薄く笑って議場を見据える。ラクスの笑みに応えて目礼し息を吸った。