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 派手な音がした。物を落とした音だ。それに続いて慌てたように足音高く走ってくる音がする。
「司令!!」
 執務室。発足からは外の仕事が多く、ここに居るのは片手で数えて足りるほど。 “司令”の呼称には慣れてきたが、馴染みのない部屋に居心地の悪さを感じていた。そこへ血相を変えてシンが飛び込んでくる。
「どうしたの、シン? ずいぶん賑やかだね」
 僅かに咎めるように眉根を寄せて問えば、苦々しいような複雑な顔をして机に手を叩きつけた。
「何ですか、この人事は!! あの人が!」
 乾いた音を立てて積み重ねられた書類が静かに崩れる。机上に広がったそれに“移民法”や“改定”の文字が見えて、ラクスが行った改革の要綱だということが知れる。それに準じた行動を求める文書か、でなければ何かの要請だろう。溜息を吐きたい気分をぐっと抑えて、シンを正面から見据える。
「あの人?」
 訝しんで問えば、身を乗り出して睨みつけてきた。
「アスランですよ! あの人が国防委員長って、どういうことですか!!」
「え?!」
 慌てて端末を呼び出し、情報を探ってみる。それは、今日の日付変更と同時に発表されていた。
「アスラン、生きて……」
 呆然と呟けばシンはぎょっとしたように見返してくる。曖昧に笑うと困ったような顔をした。
「ラクス……なんてことを」
「有り得ないですよ、こんな……こんなの」
「戦犯の息子が、その戦犯と同じ職に就く、なんて ?」
 ごく穏やかに問えば、息を呑んで極まり悪そうに俯く。シンの反応は酷く一般的だろうとキラは思った。その名の響きだけで、知識に依って判断する。アスランの人柄はその父パトリックの為した事柄によって推し量られている。否、決め付けられているのだ。理解を拒絶されている。その上、彼の履歴は迷走している。人々は結果として否定的な見方をするだろう。
 なのに、ラクスは。
 彼を、そんな要職に就けるなんて。―― 知らないわけでは、人々の感情を理解していないわけではないだろうに。何故、こんな血迷ったような決定をしたんだろう。それに
 僕よりも近くに彼がいる。彼を傍に置くなんて。気持ちが燻った。また、僕の知らないところで。
「今まで何処に居るかも分からなかったのに、どうして、いきなり 」
 思案顔でシンが呟く。確かに何処で何をしていたのか、気になるところではあった。
「いきなり、じゃないんじゃないかな。いくらなんでもそれは無いよね。きっと、ずっとそこに居たんだ……」
「そこって……軍、ですか」
「うん。誰も知ることが出来なかったけど……違う。それは、知られちゃいけなかったんだ。知ることの出来ない場所に居た」
「知ることの出来ない、場所……」
 ぴんとこない様子で見返してくる。キラはすっと目を細めた。
「――事務局」
 咄嗟に身を引くシンの瞳に驚愕が凝る。
「シン、まさか人知れず動いてる人達なんて居ない、とか思ってないよね?」
「!」
 たじろいで泳ぐ視線がその可能性を失念していたことを示していた。
「彼、特務隊に居たことがあるし……そのままラクスが表沙汰に出来ない用に使ってたかもしれない」
「表、沙汰?」
 シンは怪訝そうに眉根を寄せる。その声音にうっすらと嫌悪が混じっていた。
「変だな、とは思ってたんだよね。ほら、過激派っていうの? ナチュラルを滅ぼしてしまわなければ気が済まない、みたいなことを言ってた人達を見なくなったな、て感じてて」
「あぁ……」
 思いを廻らし、視線を上げる。確かに頑なに強硬な姿勢でナチュラルの排除を願っていた人間の姿は見かけなくなった。それに追従していた人間も、今は大分様子が変わったように見受ける。
「アスラン、いなくなる前に“掃除”をしに家に帰るって言ってたんだ。“掃除”て、そういうことだったのかな……」
「それって !」
 目を見開いてシンが何かを言いかけた。躊躇って言葉を飲み込む。その瞳は動揺していた。
「そうだよ」
 キラが目線でその通りだと言葉を促す。
「――粛清」
「少なからず、あっただろうね。ああいう思想の人達だったし」
 軽く目を伏せてキラが少し悲しげな顔をしたのが救いだった。シンの脳裏に、あの時の言葉が今もまだ、はっきりと聞こえる。
 <パトリック・ザラの採った道こそが正しい道なのだ!>
 その思想に固執して命を落としていった人達。同じ思想の奴は未だ居る、と言ったのは自分ではなかったか。そうして、戦争は未だ終わっていない、と言わなかったか。それを終わらせるために行動しているのだと信じていた。実際、そうであったと思う。多くのことを成し遂げたと、だからこそ世界はある程度秩序の保たれた状態に留まっている、そういう自負のような思いも無いわけではない。けれども。
 自分が為してきたことは、その思想を改め、この秩序の根本を安定させるためのものではなかったのだ。
 戦後の処理は膨大で広範、どれもやらなければならないことで、いつも何かに追われていた。停戦条約が結ばれた直後、あの極端で強硬な思想を排除することこそ、この戦争を終わらせる手段なのだと考えていた筈だ。だが、それに携わった記憶はない。すべきことはした。どれも誰かがやらねばならないことで、だからそれに追われて忘れていたのだ。いつしか目的が摩り替わって、いや、プラントがそれなりの落ち着きと安定を見たからこそ、次へ移行してよいと我知らず判断していたのかもしれない。
 そうして未だ闘っている人間が居ると気付かずに。
 日常を、砲撃と殺戮と異臭の無い平穏な日常を繰り返し、それに慣れきって治安は保たれていると、平和だと、戦争は終わったのだと豪語する。自分は、そんな人間になってしまっていたのか、とシンは奥歯を噛み締めた。苦い嫌悪が口の中に広がる。
 結局、何も出来なかった。方法は知っていた筈なのに。力はあった筈なのに、また。
「真偽は兎も角、願ったり叶ったりだよね。僕たちはそういう世界を望んでいなかったかな」
「まぁ……そうですね」
 胸に空洞がぽっかりと口を開けたように感じる。やらなければならないことを忘れていた、焦燥と悔恨のようなもの。
「望む世界がそこにあるなら、それを護って行かないとね。そう思わない? シン」
「そう、ですね」
 じっと見据えたキラの顔は笑みを湛えていた。人好きのするその優しげな笑顔は、反面何を考えているか分からない鋼鉄の仮面でもある。何気なく笑っていながら、実は台風の如く激情が渦巻いていたりする。今のこの笑顔も、何かを隠して張り付いているように思えてならなかった。
「僕たちは僕たちの仕事をしよう。 そうだ、シン」
 何か思いついたように弾む調子で呼ばれる。面倒なことになりそうな予感がした。
「君が思い切り机を叩いたから、書類が崩れちゃったんだよね。片付けるの、手伝ってくれる?」
「ああ、すいません」
 広がった書類に手を伸ばして掻き集め、山にしようとすると、制された。
「違うよ、シン。そっちの片付けるじゃなくて」
キラがにやりと笑って上目遣いでシンを見る。ウインクでもしそうな勢いのキラに背筋が粟立つ。出た、アレだ。
「アンタって人は! 仕事、押し付けないで下さいよっ」
「押し付けてるわけじゃないよ。手伝って、て言ったじゃない。君、補佐官じゃなかったっけ?」
「 ~~~~~ 」
ぎりぎりと歯噛みするような苦い顔で見返してくるシンに、キラは軽く吹くように笑った。実際、そういう特別なポストにいるのだから言い返せる訳もない。書類に目を通し始めたキラに倣ってシンも仕分けを始めた。