34

 明け方に目覚めて眠れぬまま、燻る感情と欲を持て余して扉を開ける。その扉を後ろ手で閉めて息を吐いたところで数歩離れた壁に凭れた人影に気付いた。
 それは苦い顔で立ち尽くしている。朝の眩しいような光に銀髪が輝き、この世の者ならざる者のように、天使か何かのように見えた。しかし、その顔は苦々しく、苛立ちを隠そうとしていながらそれに失敗している、という風だった。
「イザーク?」
 呼べば勢いよく振り返り、更に顔を歪める。盛大に顰められた眉は、言外に苦言を呈しキラを責めた。
「久し振り。元気、そうだね」
 異動して未だ幾らも経っていないのに既に懐かしい気さえする姿に気安く声をかけたかったが、その表情に思わず躊躇ってしまう。
 ぷいと目を逸らし気まずそうに、まあな、と答えた。無視か、激昂か―― イザークの様子が予想と違って少し驚く。
「議長を探している」
「ああ……ラクスなら僕の部屋に」
 言い差してはっとする。イザークの胡乱な瞳と目が合った。
「やはり貴様のところか」
 糾弾するような視線にキラは曖昧に笑う。
「……まだ眠ってるけど。急ぐ用事?」
「いや。居場所が分かればいい」
 そう言って視線を下げたイザークはその場を離れようとしている自分についてくるように目線で促した。キラは施錠をして後を追う。踊り場には朝の清々しい光が満ちていた。眠りの浅かった目にはひりひりと沁みるようで思わず目を細める。
「で、議長とは? まさか、戯れただけではあるまい」
 珍しく嫌味を音にして表すイザークに目を瞠って、瞬間、ああ、と納得する。彼のこととなると気が立つんだった……
「うん。訊いたよ。……彼のこと」
 隣でぴくりと震える気配がする。この答えを、望んでいた癖に。と少しだけ呆れた。
「その名の過ちを正す、それを効率よく進めることのできる立場だと言ってた。でも……正直、よく分からない」
「……だろうな。俺も、本当のところはそうだ」
 俯き加減に返答するイザークの髪が朝日を弾く。その光に目を伏せてキラは靴先に目を落とした。
 それから何も発さないまま、燻る胸中を表現する言葉を見つけられないまま時間が過ぎていく。光が柔らかさを帯びたことに気付いて、ふと目を上げた。
「それが真実でも、相当な荒療治だ……」
「アスランのことだから、なんとかしちゃうんだろうけどね」
「それで世界が納得するとも思えん」
「まぁ、ね」
 視線を交わらせぬまま、二人して壁に背中を預けて言葉を交わす。
「でもさ。僕達は彼の犠牲の上に立っているんだよね」
「何……」
「掃除をするって言ってたんだ、本国に帰った時。
 ラクスは、アスランがパトリック・ザラの思想に染まった人達を正したいと、それが戦争を終わらせることになると言って来たと言ってた。ラクスもそれが必要だと思っていた、だから任せたって。そうやって僕達が表立ってやらなければならなかった戦後処理だとか、復興だとかの裏で、政治的な基礎を固めるために動いてたんだよね」
「掃除……そう言っていたな。模様替えもしたから時間がかかった、と」
 呟くように言葉を挟むイザークに、キラは僅かに頷いて続けた。
「それって、その過激な思想に取り憑かれた人達の思想を変えた、若しくは排除した、ってことでしょ? 模様替えもしたんなら、ザラに傾倒していた人の思想をクライン寄りに修正した、ってことじゃない? 僕達はその地盤の上にプラントの安定を築いて、世界の治安まで維持しようとしている」
「……それは、犠牲というのか?」
「皆が、はいそうですか、って息子の言う事を聞くと思う?彼等だって、ラクスを反逆者と見る保守派の人達と手を組めばクーデターくらい起こせるでしょ。それが無いって事は、思想を変えざるを得なかった。固執する者は粛清されたと考えていいんじゃないかな。血を流す、その罪を負うことは犠牲を払うってことじゃない?」
「無血で為される革命など無い、ということか」
「うん。それを一人でやって一人で背負ってる。ザラは彼一人だから。多分、そうやってそこに居るんだ」
「……無茶をする」
 どちらからともなく溜息を吐くように笑い、暫く静かに笑った。やがて消えた笑みにぽつりとイザークが呟く。
「馬鹿だな」
「本当、馬鹿だよ」
 笑い飛ばしたかったが、もう笑えなかった。一笑に付すにはあまりにも重い、それ。
「戻って来なければ、こんなもの、背負わずに済んだだろうに」
「そうだね。ラクスも言ってた、オーブに留まることも出来た、て」
 キラは背中を壁から引き剥がしながら呟いた。
「まぁ、そういう道を自ら潰してしまったんだから仕方ないよね」
 振り向いたイザークの瞳が疑問を投げかける。キラはくすりと笑った。
「自分からザラを名乗っちゃったら安易に置いておけないじゃない。地球圏なら尚のこと、ね」
 イザークはただ失笑した。それほどまでに、世界は未だ不安定だ。キラも、もう何も言う気は無かった。
「そろそろ戻るか」
「そうだね」
「議長に閣議が15分早まったと伝えてくれ。今少し、その人事で揉めそうだ」
 ああ、と溜息のような返事が漏れる。
「分かった。伝えておくよ。 やっぱり……大変なんだ。そっち」
 振り返ったイザークは、ふん、と鼻を鳴らした。
「まぁな。よく片付いていたが、受け入れられるには時間がかかるだろう」
「そう、だよね」
 図らずも悲しげに笑えば、それを見咎めてイザークの表情が険しくなる。
「なんて顔をしている。プラントでは俺が手を貸してやるが、世界へはお前が手を貸すんだぞ。どうせ非難轟々なんだからな。しっかりしろ」
「僕が、手を貸す……?」
「そうだ。俺だってあの馬鹿者のために手を貸すなんて冗談じゃないが、そこに議長の意図が見えるのでな。わざわざ周りを戦友で固めて…… 援護しろと言っているようなものだ」
 そういえばそうだ。評議会はラクスが取り仕切る。軍にはイザークがいる。治安維持組織にキラ。他にも要所に共に時代を駆け抜けた同志を置いて、国内にも国外にも孤立しないよう布石を置いている。
 ―― 尽くせるだけの人事は尽くしておかなくては。
ラクスの言葉が脳裏に甦る。それは、アスランをその地位に就けるだけでなく、その地位でやっていけるように、そうしてある程度どの勢力からも認められるような業績を残せるように、環境を整えることまで含まれていたのだ。
 なんて、世界……!
「では、俺は準備に戻る」
 視線でキラの様子を窺いながら踵を返す。イザークの目線に、キラはうん、と頷いて見送った。
 友の成功を願う気持ちと、肉親を傷付けられた恨み。
 見えてしまった世界の構図に、相反する気持ちを抱えて立ち尽くした。