35

 揺れる議会は静寂な動乱を孕んだまま終わった。暫く、数週間か数ヶ月、或いはもっと長い期間、何かを掛け違えたような違和感を纏ったまま評議会はその責を果たすのだろう。
 誰とも目を合わさぬよう、視線に低空を辿らせてアスランは議場を出る。それでも、揶揄を含む好奇や、あからさまな非難の視線が追いかけてくるのが嫌というほど分かった。どうせ、居なかった期間のこと、戦後の記録に功績がないことを訝しみ、そういった質疑をラクスが問答無用と遮断したことを鑑み、癒着であるとか私情であるとか、そういうことを勘繰っているのだろう。
 ――そうでなくても。この名で其処に居るなら。 そうだ、それはとても単純で、そして初めから分かっていた事。
 幾度か密かな溜息を吐きながら、割り当てられた居場所を目指す。
「よぉ、委員長さん。相変わらず、時化た顔してんなぁ」
 軽い調子の砕けた口調が背後から聞こえた。溜息を吐いたままの顔で振り返る。
「ディアッカか。何故、ここに居る」
「何? 久し振りに姿を現した友人を見かけて声をかけたのに、そういう扱いなわけ?」
 口角を上げてにやりと笑うディアッカは、苦言を呈しながらもそう気分を害した様子ではなかった。見慣れた皮肉を含む笑みは軽薄に見えて好きにはなれなかったが、今はその重みの無さに救われる。
「まぁ……大変なのは分かるけどさ」
 肩を竦めてみせるディアッカは然程そうは思っていないように見える。だが。
「分かってて戻ってきたんだろ? もっと堂々としてたら?」
 その瞳が少し険を含んで自分を見返していることにアスランは気付く。
「ディアッカ――」
「そりゃ、お前のしてきたことは散々非難されるよ。軍人としちゃ、ヤバいことやっちゃってるしさ。それは仕方ないじゃん。けど今は、そういう制服着てるんだから、下向いて溜息吐いてるとか、不味いと思うぜ?」
 ああ、と曖昧に返せば、今度はディアッカが溜息を落とす。
「俺等実働隊が不安になるだろ」
「そう……だな」
 硬い表情のまま視線を下げたアスランに、それでもディアッカは少し安堵した表情で笑った。
「しかし、良かったよ。無事でさ。……本部に居るって噂が流れた後、何の音沙汰もなかったじゃん。死亡説まで実しやかに語られてたんだぜ、ほんと」
「死んでいたさ。―― 死んでいたようなものだ」
 ふ、と自嘲気味に笑った。床に落とされた視線をディアッカは追う。
「お前、……何、してたの。今まで」
 潜められた声に硬さが滲んでいた。その様子にただならぬ何かをディアッカは感じ取ったらしい。ますます歪んだ笑みを浮かべてアスランは視線を上げる。
「掃除、だ」
「はぁ?」
 思いも寄らない言葉に声が裏返る。ディアッカは意味を取れずに真っ直ぐアスランを見据えた。
「汚れてるんだよ、俺の名前は」
 ディアッカはアスランを凝視する。アスランは未だ笑んでディアッカを見据えていた。その空間だけ、時の流れが止まったかのように向き合って互いを探る。ディアッカはその言葉の意味を。アスランはその問の真意を。
「……戦犯、とか何とか言われてる、てことか?」
 ふ、と鼻で笑ったアスランの瞳は闇を孕んでいた。ディアッカを捉え続けている瞳の冷たさに凍る。
「あの人は死んでなお戦犯になった。火種を撒いたのは父だ。俺はこの名に懸けてそれを排除しなければならない」
「ならない、って……」
 呆然と返せば尚も凍るような視線で見返してくる。
「そうでなければ、俺は生かされている意味がない」
「おいおい、アスラン……冗談よせよ、マジで」
「冗談なんかじゃない」
 その硬い声は真実そう思っていることを示していた。ディアッカは思わず息を呑む。
「ディアッカも知っているだろう? 俺は……軍人としてやってはならないことをやった。時流と体制のお蔭で命拾いしているが、本来もうここには居ないはずの人間だ。なら、俺は何故ここに居るんだ?」
 ただアスランを見据えるばかりのディアッカに僅かに苦笑して続ける。
「ユニウスセブンであのテロリストは、パトリック・ザラの採った道こそが唯一正しい、と言ったんだ。デュランダル元議長は、それは彼等の勝手な解釈だ、と言ったが、そうじゃない。彼らが極端な思想に走り、力を行使する切欠を与えたのはパトリック・ザラだ。あの人は国の権威を以って復讐を果たそうとした。同じ悲しみを持つ者が追従し、それが正しいと思い込み、それを望むようになるのは容易い。一度抑止を失った彼等の思想は簡単に暴走する。平和を望むなら、いや、戦争を望まないなら、その芽は摘み取っておくべきだろう」
「ユニウスセブンって……あの時か。あいつら、そんな事を」
「あの戦争は父が始めたも同然だ。その思想を継ぐ者がいて、戦争は繰り返された。そんな思想は継がせては駄目だ。
 撒かれた火種は全て消す。それが地下でも、墓の中でも。あの人のしたことは間違いだ。あんな憎しみに駆られた殺戮はもう二度としてはいけないんだ」
 一つ頷いてディアッカは僅かに首を傾げた。
「でもそれって、お前がやらなきゃいけないこと?」
「ああ、俺でなくても出来るのかもな。俺は一度、この名を捨てているし。逃げ出したくせに、と言われてしまえばそれまでだ」
「……撤退も立派な戦略だぜ?」
「ああ。そうだな。だが、それだけでは終われないだろう? それは終結じゃない、立て直しだ。終わらせるには今一度の侵攻が必要だ」
「確かにな」
 ふ、と息を吐いて笑ったディアッカにアスランは薄く笑った。
「……父は父、俺は俺、気負う必要はないのかもしれない。だが、自分の家のことだ、始末をつけるのが筋なんじゃないのか。
 それが許されたから此処に居る。俺はそれを成し遂げなければならない」
 なるほど、と小さく呟いてディアッカは軽く目を伏せた。言葉で表せることの少なさが歯がゆい。
「あれ? どうしたんですか? こんなところで」
 赤茶の髪の男がディアッカの後ろから歩み寄ってくる。不思議そうに二人を見比べると、アスランに向かって言った。
「ご友人ですか? 日程には少し余裕がありますから、お話ならどこか掛けて」
 とディアッカに視線を移すと、ディアッカは慌てて手をぱたぱたと振った。
「いや、ごめん。俺の方が余裕ないかも。出頭命令喰らってるんだよね」
「出頭? なら、軍本部じゃないのか」
 至極自然な問いだ。議長直属であっても、評議会の施設に用があるなど滅多にない。先程の“こんなところで”にはその意も含まれているだろう。
「いや、なんか議員も交えてって話だぜ。ちょっとした人数になるらしいし」
 ディアッカは肩を竦めた。
「俺も詳しいことは聞いてないんだけどさ。まぁた組織変わんのかな」
 やれやれというようにディアッカは笑う。それを受けてアスランは苦笑した。
「じゃぁ俺、行くわ。またな」
 言い終えるが早いか踵を返す。あっさりした言動に呆気にとられていると、くるりと振り返った。
「お前、正しいと思ったことしてるんだよな? 今度会う時は堂々としてろよ。ふてぶてしいくらいにさ」
 そう言うと軽く右手を上げて、温かく強い笑みを残して早足に去っていく。
「委員長?」
 茶髪の男が振り向くとアスランはふ、と笑った。
「あいつ……相変わらずだな。馬鹿なんだか、人が好いんだか」
「はぁ……」
 そうして視線を落とすと本来の道に戻る。茶髪の男は腑に落ちない顔で付き従う。もう溜息は吐かなかった。