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「全く、あなたという人は」
 半分憤り、半分嘆息の硬質な声が響く。
「もう少し後先を考えるとか、状況を読むとか、出来ないんですか」
 赤茶の髪をくしゃくしゃと掻き乱して、声の主は目の前の惨状の残骸と荒れた雰囲気に苛立っていることを示した。
「……すみません」
 茫洋とした眼差しで反射的に発せられた言葉に、大きく溜息を吐く。
「……まぁ、とりあえず片付いていることは評価しますけど」
 溜息を聞き咎める事もなく、焦点の定まらない視線を動かしもしない。どうやら、自分でも信じられないことをしたらしい。完全に自失した様に失笑した。少年の面影が消える程に時は流れた。だが、未だ場馴れない雰囲気はあの頃を彷彿とさせる。じっとその面差を見据えて肩の力を抜いた。
「初めてお会いした時もそうでしたね。独りで突っ走って、段取りが滅茶苦茶で……」
「ダコスタ秘書官」
 聞き咎める様な、蒸し返すなとでも言いたげな声が返ってくる。しかしその眼は戸惑って揺れた。真っ直ぐに見返して続ける。
「私達の中でもあなたは優秀だ、それは認めますよ。一人で何でも出来てしまうんでしょう。大抵の事は自己完結するし事足りる。だけど、あなたはいつだって支えられているんですよ」
 息を呑む気配がした。問うような色で視線が返ってくる。
「ずっと、独りではなかったでしょう? 今までは兎も角、これからは地下ではないのですから、一人で頑張らなくてもいいんですよ」
 そっと笑うと、僅かに背筋を強張らせた。ふと瞳が哀しげな色に変わる。
「考えてみて下さいよ。周りに顔見知りが多いと思いませんか。わざわざ我々が側に置かれてる訳、分かりますよね。もう少し頼って貰わないと、我々が居る意味が無いじゃないですか」
 見据えた瞳は哀しげな色のまま逸らされて、俯く。
 ――また溜め込んでいる。
 瞬間思って、また失笑した。ずっと、よく見てきた表情。事ある毎にそうして俯いて黙す。その胸の内に何を思うのか、それは図れないけれど。
「……参ったな。これだけ一緒にやってきて ――そりゃ、状況的に接触はできるだけ避けてはいましたけど―― 信用されてないなんて、かなり……凹みますよ」
「信用していない訳では……」
 僅かに慌てた口調で否定する。取り敢えず独りで何とかしようとする、それが恐らく習慣というか癖のようなもので、そう簡単に改善されるものではないと思いつつ、やはりそれでは困るし、やっていけるものでもないから敢えて要求する。
「では、何でも一々ご自分で対処しようとしないで下さい。即決しなくたっていいんです、対応を考慮する、と言って棚上げするのだって一つの手です。迷ったら丸投げして下さって構いません」
 奥歯を噛み締めて、また思案顔をする。分かってはいるだろう、けれど理解出来ない、頭が理解を拒否しているという感じだ。どれだけ頑ななのか。呆れながら、それ故のラクスの指示と行動なのだと理解する。その地位と立場に見合った対応に導く必要があると知っていたのだ。先手を打っていかなければならなかった、そういうことだ。
「では、新たに組まれた予定をお伝えしますね」

 今後の予定には会談が幾つか組み込まれていた。委員会内の仕事の合間に視察が入る。先ずは周知を、といったところか。
 並行する仕事は大きく改編した軍と変革を求められた国防に付随するものが殆どだ。つい先程も、軍に取り込んだ警察組織を切り離す提案をした。多分それは議長の力を以て決定事項となる。始めから彼女の中でそれは決定されていた、アスランはその直感を思い出して苦々しく眉根を寄せ、大きく息を吐く。そうやって父の為した改造を悉く覆して、その印象を否定していくのだろう。それは議長によって仕組まれた改造で、彼女が理想とする世界の構築の一歩なのだ。ある意味、それは至極当然で、望ましいことなんだろう。
 だが、どこか納得のいかない自分も否定は出来ず。
 何故、自分が巻き込まれているのか。理解を超えている。否、受け入れ難い。その世界に自分の居場所などある筈がない。あってはならないと思っていた。
 こんな、血塗れの手で何をせよというのか。
 彼女の理想から最も遠い筈だ。なのに何故、自分がこの世界で立場を得られるように取り計らわれているのか。予定も予想もしていなかったそれを容認するのは難しかった。だから何か他人事のようで実感が湧かない。上の空、と言うのだろう、こなしていかなければならない仕事の予定も頭に入ってこなかった。これでは拙い、と思いながら納得のいかない自分の前をそれ等は通過して行く。それを打開するには無理にでも納得するしかないだろう。だが。
 血塗られた道を行くのだろう、と思っていた。再び人に銃口を向けた時、そうしてまた血に濡れる己の手を見て、もう戻れないのだと感じた。この道を粛々と、果てるまでただ進むしかない。それがその咎を負う者の定め。血を流す罪の重さを認識出来ない程、感覚は麻痺していない。生命の代価は命、その罪の報いは価値ある生を許さない。だからこそ、もう戻れない、戻らないだろうと思っていたのだ。
 彼女は何故、自分をこの世界に戻そうとするのか。
 もう、粛清の道具と化したと言ってもいいだろう自分を連れ戻してまで成し遂げたいことは何か。また、造られた憎しみの蔓延する世界と戦争を、あの殺戮をこの手で繰り返してしまうのではないかと自分でも危惧してしまう。そういう見方をされている筈だし、そちら側へ転げ落ちないとも限らない。狂気は、知らない内に人を蝕んでいるものだ。何時の間にか呑み込まれている、気付けば取り憑かれている、そんなものだろう。血に染まることに慣れ過ぎて、愚かしい程、義に過ぎる。残念ながらその可能性を感じてきた。彼女の望む働きを、いつか無視していくだろう。そして。

 聞こえよがしの大きな溜息が聞こえた。
「だから、一人で抱え込むなと言ったでしょう? 全く、人の話、聞いてますか?!」
「あ、あぁ……」
 辛うじて応えて目を上げると、不機嫌な顔に迎えられた。その顔のまま、もう一度溜息を吐く。
「まぁ、いいです。形だけ居てくれれば我々で何とかしますから。
 ですが、これだけは憶えておいてもらえますか。あなたはもう事務局には戻らない。こちら側で生きて頂きます」
「は?」
 思いも寄らない言葉に耳を疑う。見透かされているのだろうか。
「帰る場所がおありだと聞きました」
 帰る、場所……? ――帰りたい何処かはあった気がする。
「随分、お待たせした、とも」
 待たせた……? 何、を?
「だから無理に引き抜いた形になってしまったそうです。本当は、早く慣れて頂きたいところなんですけどね」
 議長の話を口伝しているのだろう、ということは分かる。彼女の考えを理解しているような口振りに、それを聞きたい気分がしたが、彼はもう目を逸らして思考を次の事案に移行しているようだった。そろそろ時間ですね。という控え目な音の呟きに思考を止める。無言のまま、条件反射のように移動を開始した。