40

 息を潜めて闇を見据える。音の無い世界で目標を見付けるのは容易いことではない。忙しなく視線を動かして周囲を探る。自分の鼓動と呼吸音が煩い。上がる息に苛ついた。
 出会ったのは友軍機の筈だった。機体は確かに見慣れた物。だが、識別コードは古く、今は無い小隊のものだ。俗に所属不明と言う。その所属とそこに居る理由を問うと、いきなり撃ってきた。想定の範囲内だ。その宙域に居る、情報は得ていたのだから。
 回避して様子を窺う。嫌な予感がする。不明機は答えた。
「ザラの子息が、何故、我等を否定する?!」
 彼が何を云わんとしているのかは直ぐに分かった。
「あなた方は間違っている。
 ナチュラルを滅ぼすなど、考えていいことじゃない」
「だが、奴等は核を撃ってくる。そうして我等を滅ぼそうとしているのだ! 同じ事ではないか! その脅威を払わずに何とする!!」
 激昂が音声にのって伝わってくる。その振動が痛い。
「だが、それは滅ぼす理由にはならない! 人が殺し合っていい訳がない!!」
 父と同じ ―― 胸を突き刺す痛みに言葉を絞り出した。語尾に警告音が被る。
「人、だと? あれは人ではない、ケダモノだ! 核を撃つなど!」
 ロックされた。
「パトリック・ザラの採った道こそが、唯一正しい道なのだ!」
「違う!!」
 弾き出された光にその所在を知る。射線を避けて間合いを詰めた。ライフルを払い飛ばしてその腕を掴み、捻って封じる。
「もう止めるんだ! 今ならまだ」
「覚悟!」
 空いた手が向かってくるのを肱で弾いて捕まえる。
「だから止めろと……!」
 強い言葉の隙間に薄く笑う溜息が聞こえた。瞬間、息を呑む。
「ここまでだ」
 振り払われた手が宙を掻き、開いたその間隙に刃が光る。咄嗟に蹴り飛ばしたその爪先が不明機に掛かった。ざっくりと切り裂かれた機体は何を思う間もなく爆散して果てる。
 爆風に流され、茫然と開いた眼に自分の掌が映った。じっとりと粘るような感触と共に赤が染みる。
「う ぁあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 赤は浸食を止めない。滲む血は掌を真赤に染めた。


 跳ね起きた。その動作に眠っていたと気付く。とくとくと騒がしい鼓動に息が上がっている。思わず掌を開いて見る。異常は見られない。血の滲んだ跡さえなかった。汗ばむ額に掛かった髪を掻き上げる。
 ――久し振りに見たな、この類の夢は。……しかし、グリフォンの扱いをしくじるなど、どんな悪い暗示か……
 苦く笑い、大きく息を吐いて心臓を宥める。
 ――君は……君なら、また掬い上げてくれるだろうか、この血塗られた道から
 ぽつりと浮かんだ思いに奥歯を噛み締める。
 ――何を甘えているんだ、俺は。
 苦く広がる嫌悪に顔が暗く歪む。もう関わらないと決めた。住む世界が違う。ひとつ頭を振って偽りの空へ目を向けた。


「……久しぶり、アスラン」
 迎える友は笑顔を浮かべていた。しかしそれは固く、年月が確執を生んだことを物語る。
「ああ」
 返す言葉も無為自然にぎこちなくなった。その年月の長さを思い知る。
「適当に座ってよ。一応、会談らしいけど、知らない仲じゃないし、楽にして」
 そう言いながら声は強張っている。一瞬だけ笑みを引いた。けれど、自身のその仕草には気付かない振りをして、キラは連れ立った数名の秘書官を見回し和やかに目礼を送って、応接用に設えられた長椅子に腰掛けた。釣られたようにアスランが対面に腰掛ける。
 ガーディアンエンジェル・宇宙本部。その一室でアスランはキラに対峙する。
「まぁ、最近の国防軍の事は僕の方が運用とか実際関わってたし、大体分かるから詳しい説明はいいよ。それより聞きたいのは、……それを君はどう思ってるのか、どう使おうとしてるのか、てことかな」
 ん、と一つ頷いて息を吸う。
「確かに、特務隊に居られた司令に於かれては、組織にも設備にも私などより精通して居られるでしょう。説明は省かせて頂きます」
「もう。堅いんだから、アスランは」
 肩を落として失笑するキラに、アスランは無表情に返す。
「一応、会談なのだろう? 公式の場に相応の対応をしているだけだ」
 無表情のまま見据えたキラは軽く溜息を吐いて失笑の表情のまま呟いた。
「相変わらずだね。いや、更に拍車がかかった感じ? 愛想笑いくらい出来た方がいいと思うけど」
 僅かに眉根を寄せて応えたアスランを一瞥して、キラは続ける。
「まぁ、いいんだ、そんなのは。それで、君はどういう風に考えてるの?」
 朗らかなように見えて、その瞳は厳しく冷たく、糾弾するかのようだった。会わなかった数年の間に彼は大人のやり方を身に付けている、そういう感じだ。焦りに似た寂しさは、諦めに近い。尚冷たく見据える瞳をアスランは見返す。
「司令もご存知の通り、軍そのものはガーディアンエンジェルに部隊、軍備を提供後補填を行なわず、事実上縮小しています。その目的も本来の意義に戻し、防衛を主眼に置いたシステムの導入と組織の改編を行ないました。これは、今後プラントから攻撃や侵略を行なう意思の無いことを示すものになると考えます。これを維持し、推進することで周知を目指したい。そうすることで、力に頼らない世界への一歩となることを願うものです」
 キラは真っ直ぐに見据えたまま、聞いていたその態度で問い返した。
「それ、本気でそう思ってる? 今までの君のやり方とは随分違うような気がするけど」
 暗に否定する問いは議長の関与を指摘している。意味としては当たらずも、事象としてはその通りだ。そう認識しながら、自らの意志を否定されたようでアスランは僅かに苛立つ。
「今まで、とは何時のことですか。何の為にこれだけの時間を掛けたか分からない貴方ではないでしょう。何に於いても水準を下げることは容易ではない」
 キラは ふ、と溜息混じりに笑った。
「そうだったね」
 一瞬だけ目を伏せる。そんなキラを睨み付けるように見据えて、言葉を待つ。
「だけど、本意じゃないでしょ。この軍備で、プラントを護り切れると思ってるの?」
「いや……。だが、何とかする。それが世界を平和に導くなら」
 冷たさは真剣さに見える。じっと内側を覗くような視線は、歪みのない思いをぶつけてくる。
 睨み合うような形で、どれだけの時間を過ごしただろうか。長い、長い数瞬だった。
「そう。分かった」
 そう言うとキラは最初の笑みを再び浮かべて、会談と呼ぶに相応しい内容を語り出した。
 いきなり何だ、と呆れながら、そのことには触れずに会話にのる。昔からそういう突飛な所があった。こちらも、そのつもりで来ているのだ、目的を逸しないなら異論は無い。寧ろ、有難い。
「歓迎します、ザラ国防委員長。共に秩序ある世界を築きましょう」
 柔かに微笑んだ声でそう言うと、キラは立ち上がって右手を差し出した。
「そちらがその理念に従う限り、協力すると約束する」
 同様に立ち上がり、アスランは少し躊躇ってその手を取る。
「感謝します。それに報いるだけのことはさせて頂きますよ」
 刹那、キラは笑みを引いて鋭く刺すような瞳をした。まるで内側を探って断罪し釘を刺すような。
 しかしそれは直ぐに掻き消えて、至極和やかな笑顔で右手を握り返してくる。怪訝に思いながら、アスランはつられて僅かに笑った。それを見届けて手を離し、キラは笑顔のまま見渡して秘書官に静かに告げる。
「彼と少し個人的な話をしたいんだけど、いいかな」
 問い掛けながら、それは有無を言わさぬ命令だった。
「悪いけど、外してくれる?」
 わざわざ言葉にして強調する。言外に、話したいのは世間話程度の内容ではないことを示す。その瞳はもう笑っていなかった。

 そうして程なく、室内は二人きりになった。予期せぬ状況に驚きながら、話される事柄の予測をある程度立てている自分を、アスランは胸の内で冷ややかに哂う。
 俄かにキラの大きな溜息が響いて、空気の色を変えた。
「もしかして予想してた? 僕が話したいって言うこと」
 視線は逸らされたまま戻って来なかった。その瞳に硬質な光が点っている。
「いや……」
 戸惑ったまま返した言葉は、それでも体裁は繕っていたらしい。
「それにしては落ち着いてるよね。肝が据わってるっていうか」
 からかう語調は感情のない口調で投げられた。真っ直ぐに見返して真意を探る。
「あのさ。いつまで それ、続ける気? その……委員長」
 戻ってきた視線は曖昧な返答を許さない厳しさを含んでいた。
「……お前はどうなんだ、キラ。いつまで総司令を務める気だ」
 問を返せば、僅かに目を見開いて少しだけ思案する素振りを見せる。
「分からない。決めてないよ、そんなこと」
「俺もだ。……強いて言うなら、議長がもういいと言うまで、か」
 互いに平板な声音でやり取りをする。昔のように激昂したり消沈したりはしない。体面を保てるくらいには大人になっていた。
「ふぅん。じゃぁ、もういいって言われたらどうするの?」
「さあな。先のことは分からない」
 正直、何時か辞められるとかこの先はどう生きるとか、考えたことはない。事務局で一つ仕事をこなした時に考えることを止めてしまった。生きていることそのものがもう、その為でしかないと思える程、己れの罪深さを感じている。責務とはいえ、望んだとはいえ、それは人の生命に関わることだ。未来の選択肢に、思想の死か生命の終わりかの二つだけを突き付けて処断した自分は、少なくとも生命の終わりを宣告したことの責任を負うべきだろう。だから、未来などもう考えられなかった。
「……オーブにはもう行ったの?」
 冷たく刺すような声が届く。
「いや」
 アスランは思考を止めて答える。無理に感情を抑え込んだ無表情と目が合った。その意味を推し量って唇を噛む。
「そう。じゃぁ、カガリにもまだ会ってないんだ」
「……何が言いたい」
 棘のある声になった。その名の響きは疼くような痛みとなって胸に沁みる。
「どうするのかと思って、カガリのこと。少なくとも議長は、それを考えるためのその地位だと思ってる」
 それは少し意外な発言だった。
 以前、こちらに来て間もない頃、議長とはそういう話をしたことがある。だが、もう昔の話だ。今はそうは思っていない。変なところで律儀に記憶力を発揮するのだな、と呆れた。
「今更。何を……どうしろと言うんだ。俺にはもう……そんな資格は無い」
 俯いたアスランの頭上に押し殺した強い怒りの声が投げ付けられる。
「何、資格って。それが君の誠意?」
 声の調子に驚いて目を上げると、そこには殺さない感情を真っ直ぐにぶつける瞳があった。一瞬、怯む。見たことのないキラの表情に息を呑んだ。
「資格とか……責任は考えないわけ?
 あんな辛い時期に独りで頑張って、道を誤る程、寂しくて苦しんでボロボロになって、それでも君のこと……カガリは……!
 カガリがどんな気持ちで君を見送って、どんな思いで生きて来たか、君には分からないの? 君はまたカガリを傷付けようっていうの?! カガリが守ってきたものをみんな無視して……!」
 キラは一気に捲し立ててアスランを激しく睨んだ。その瞳は潤んで泣き出しそうだった。
「お前……」
 前にもこんな事があった気がする。キラがカガリの思いを語る。自分より彼女に近いと主張されているようで、胸の奥が、じり、と灼ける。
「考えなかった訳じゃない。だが、俺はもう……お前だって知っているだろう? ずっと血塗られた道を歩いてきた。こんな血に汚れた手で何が出来るんだ? もう会うことを望むことさえ、不相応なのに」
 握り込む掌に爪が刺さる。軽く溜息が聞こえた。
「そうか。君の時間は止まっているんだね、アスラン」
 睨み据える覇気は消えていた。見合った瞳は硬い光を宿しながら、僅かな理解を足掛かりに歩み寄る。
「でも、時は動いてるんだ。ラクスは君に、この軍縮は君が推し進めることに意味がある、と言わなかった? 君じゃなきゃいけないって」
「ああ。俺が行なうことに大きな意味がある、と言っていた」
 アスランは苦く眉根を寄せて呟いた。
「それは君の手を雪ぐことなんだよ」
 諭すようにしてキラは言った。意を取り兼ねてただ見返す。
「君は血に汚れたって言うけど、それは必要悪だったんだ。君がやらなければラクスがやってたんだから。そうして救われていく人や世界があるなら、汚れた訳じゃないんじゃない? 確かに血生臭いことしてたかもしれない。でも、それは力に頼らない世界を造るためでしょ? その世界を造り上げられれば、君がしてきたことは意味のあることなんだ。
 そして、その意味によって君は父とその名前の呪いから解放される」
 そう言うと少し笑った。アスランは自分の中に無い考え方に戸惑って、ただ黙して見据える。
「少なくともラクスはそう考えてる。そういう意味だと思う」
 言葉を切ってキラは目を伏せた。何か言おうとして呑み込んだその仕草を虚ろに見る。
 人を殺めることは罪、という価値観は普遍的なものではないのだろうか。戦時は確かに、仕方ないと、そういうものだと、誰も咎めることはしないかもしれない。寧ろそれは賞賛されて、評価される。だからといって、正しい事になるのだろうか。理解も納得もする気は無い。そんな世界を認めたくはない。
「君は義に過ぎるんだよね、昔からさ。正しい事が何時も正しいとは限らない。義が常に最善ではないんだよ」
 見透かしたような言葉が鼓膜を震わせる。どういうことだ? 義が最善でないとは。正しい事は普遍ではない? 正義は変動するのか? 情報処理が追いつかない。
 キラはアスランの彷徨う視線を少しだけ追って、苦笑と共に背を向けた。
「もう少し周りを見た方がいいよ。君を解放するためにどれだけのことがされてると思う? 頑なに拒むのも自由だけど、人の思いは大事にした方がいい」
 そのまま扉を開く。そうして振り返り様にアスランに向けられた視線は、じろりと睨め付け否定を投げ付けていた。
「僕は、君を許してないけどね」
 言い終えた刹那、朗らかに笑って一歩進む。お先に失礼するよ。と言ってキラは出て行った。
 フリーズしたように動きを止めて、アスランはキラを見送った。