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 それは僅かに恐れていた通達だった。 いずれあるだろうと思っていたそれは確定事項で、何時になるか、ただそれだけの事だった。
 プラントからの、国防委員長による会談要請だ。
 国内は、プラントの新国防委員長就任を受けて少なからず揺れた。プラントは再び軍国主義的な政策を執るのか。これまでの友好関係は保たれるのか。優越を誇示して再び地球圏を弾圧するだろうか。……
 その家の名の印象は未だ、先の大戦の色濃い影響を受けていた。議長の、強引で特例的な人事を鑑みれば自ずと解は明らかなのに、そうは考えられないのはやはり、彼等を知らないからであり、宇宙の国を知らないからなのだろう。
 そういうところで齟齬が生じる。
 ふと、そんな風に思った。完全に民主化しない理由は多分これだ。人々の認識は改められなければならない。そして、その為に何かを為さなければならず、行動を起こすべき絶好の機会なのだろうけれど、そういう気分には到底なれない、とカガリは感じていた。
 長い間、蓋をしてきた。小さな箱に閉じ込めて、箍を掛け、鍵を掛け、ずっと追憶さえ手の届かない奥底へ投げ込んで過ごしてきたのだ。空虚を飼い慣らして。その空虚は箱の中身と同じ響きを持つ何かの為に取り分けられることを拒んでいる。知ることも、考えることも、行動を起こすことも。長い逃避は強い拒絶になった。
 どうすべきか――
 自分が今、この会談の申し入れを受諾してそれを行なっても、有益なものになるとは思えない、その本来の意味に於いて。だが、そんな理由で撥ねつける訳にもいかないことは解っている。その理由は別の意味に取られて、国際的な問題に発展しかねない。違う言い訳がましい理由を付けるにしても、受け入れないこと自体が不穏な空気を纏う。大将として、権限を持つ者として、受けるべきは自分なのだろうという自覚はある。けれど。
 そうして、思索を繰り返した渋く淀んだ貌で回線を開いた。

 不意に開く扉に目を上げた。長身の首長が静かに歩んでくる。長い髪が揺れて曲線を描いた。凛とした表情に艶やかな長髪は、時に冷徹さを感じさせるが美しい。ただ美しいと感じて目で追った。
 彼の国の施政に携わる者が身に着ける首長服は、永く意匠を変えていない。その、既に目に馴染んだ服が、彼女を昔から知っているような気にさせる。だが、注がれる視線は映像でしか知らないもの、紛れもなく初めて触れる温度のものだった。
「お待たせした。ザラ国防委員長」
「いえ。お時間を頂きありがとうございます、サハク代表」
 ミナは形だけ笑んでいた。手を伸べて着席を促す仕草は硬い。それは警戒にも見えた。
「余で申し訳ないな。アスハ主席代表が対応するのが一番良いのだろうが」
「は……主席に対応して頂かねばならないような事柄では、……サハク代表でも過分だと思うのですが」
 訝しげに問えばくすりと笑う。それでも尚、ミナの瞳は硬い光を含んだままだった。
「残念ながら国防の要を握っているのはアスハ主席でな。他国の国防の長をお迎えするのに自国の長が不在とは、みっともない話だ。……そういうご訪問ではないのか?」
「それは……そうですが」
 口篭るアスランを見据えてミナは一つ頷いた。そして、ぷ、と笑う。
「どうやら、ご自身の立場が良く解っておられないようだな。……初々しいことよ」
 然も可笑しいと言わんばかりのミナを恨めしく思いながら、アスランはミナを僅かに見上げる。
「しかし。アメノミハシラは独自の自治体系を持っているのでは?」
 ああ、と得心したように顔を上げてミナは宙を仰いだ。
「宇宙の孤島、であったからな。本国とは相容れない時期もあったし……独立していたと言っても過言ではないだろう」
「代表が組織した軍をお持ちであると記憶しておりますが」
「あれか。あれも一応、正規の宇宙軍なのだがな。有事でなければ指揮権は余に託されているが」
「では、主席は未だアメノミハシラを一国とお考えなのでは。 天空の宣言を尊重して居られるようにお見受けします」
 狐につままれたような顔をしてミナはアスランを凝視する。そんなミナの様子を意にも介さずアスランは言った。
「軍もステーションもお任せになっている。ならば、宇宙の砦としての一国と捉えてよいかと。
 そうであれば、サハク代表に受けて頂くのも何らおかしくはない。私はそのような解釈と存じておりました」
 ちらりと挑戦的な光を瞳に宿したアスランに、なるほどな、とミナは零す。
「だが、地続きになってしまったからな」
「軌道エレベーター、ですか」
 然り、と頷いてミナは続ける。
「ようやく本当の意味でアメノミハシラとなったわけだ、本来の姿にな。
 本土へは確実に近くなった。これからは大分風通しが良くなるだろう。物が行き、人が来る。人が行き、物が来る。入り混じってこちらもオーブになるのだろう。
 余は既に其の様な見地でいた。失礼をお詫び申し上げる」
 視線を下げる形でミナは僅かに頭を下げた。
 アメノミハシラは当初、軌道エレベーターとして建造されていた。開戦により、建造を中止せざるを得なくなったそれは、それまでに完成していた宇宙ステーションだけでの運用を余儀なくされた。軍需工廠を擁していたアメノミハシラは軍事を司るサハクに託されており、ミナの言の通り宇宙の孤島であったそれは、遠大な真空の海に隔てられ統括管理をサハクに頼ることになる。自然それは独自の統治となり、本国とは相容れぬ施政も議会は黙認せざるを得ず、独立を宣言するにまで至った。そうして長く半独立状態であり黙認されていた自治を、戦後ミナが掲げた信念を地上が請う形でアスハとサハクの共同統治を宣言、正式に公認されることになる。同時に、交流を再開し、二つのオーブは一つに歩み寄る政策を執った。この政策の一環としてアメノミハシラの軌道エレベーターとしての建造を再開する。大戦を機に本土を見限り移住した技術者等も多く、財政的にも余裕のあったアメノミハシラ側を中心に進められたそれは、宇宙での資材加工や組立、作業効率等、利点も多く、予定の工期を早めての完成となった。そうして今や本土と繋がった孤島は諸島に加えられている。
「しかし委員長は、アスハ主席をよく理解されているのだな」
「は?」
 感嘆のように洩らされた言葉は溜息に似ていた。不意を衝かれて抜けた声が出る。
「ああ、傍に居られた時期があったのだったな」
 僅かに揶揄を含むように聞こえたそれに、アスランは淡々と答えた。
「そういう事ではないと思いますが。お見受けするというだけの話です。代表こそ、既に本土と一つとお考えとは、主席の意図をよく把握しておいでだ」
 じろりと睨め付けるとミナは大仰な溜息を吐いて背凭れに寄り掛かる。
「ああも頻繁に上がって来られては、な。
 あのお転婆、せめて行政府に収まっていろというのに、隙さえあればふらふら出歩くわ、此方へ来たがるわ、全く……ああ、申し訳ない」
 ミナは一瞬だけ笑って軽く右手を挙げ、姿勢を正した。
「離れてはいるが、もう10年近く共に治めている。知りたくなくても知れるというものだ」
 照れたように苦笑いをして、ミナは正面に目を戻す。

 会談は友好国としての安全保障の確認と、そこに軌道エレベーターを加える作業、オーブの宇宙の部分に関する条項の整備を提案。新たに協定を結ぶことも視野に、合意の下、作業部会の設置と初回会合の日程までを取付けた。
「エレベーターをご覧になるか? 宜しければご案内する」
「よろしいのですか? 予定には……」
「無いな。だが、時間はまだあるであろう? 此処は宇宙なのだ、位置的には其方側、巨大建造物であるし、其方の防衛にも関わるであろう。損は無いと思うが」
ミナは至極真面目な顔で言った。 意図を計りきれずただ見返す瞳を、肯定と捉えたようだ。半ば強引に移動を始める。
「……このアメノミハシラの完成も、カガリ・ユラのお陰なのだがな」
 ミナは独り言のように呟いた。
 ステーションは動線がよく計算されており無駄が無い。工廠の一部と化しているのか、宇宙での経験値が効いているのか、何れにしても軌道エレベーターの開放性と工廠の閉鎖性を兼ね備え、一つの建造物でありながら、どちらも干渉し合わずにどちらもその機能を利用する徹底的な構造設計と管理統制が為されていた。
 この厳格さはミナの性質を体現しているのだろうと想像する。成る程、予定を組まなくても視察に耐えるだろう。
「宇宙を目指す手段の必要性を執拗なほど説いていた。戯言を、と思っていたら議会を丸め込んできて、建設を再開するという。驚いたものだが、これを切欠に今や復興も発展も成そうとしている。アスハの小娘に何が出来る、と鼻を鳴らしたものだが、してやられた」
 ゆったりと発着口を眺め、息を吐きながら笑うと、ミナは向き直ってアスランに言った。
「人類社会は繋がっていなければならない、と言うのだ、カガリ・ユラは。確かに、目指すところを考えれば、そうである方が都合が良いのだろう。彼等に賭けた我等は、その意志を支持しなければならぬ。
 ――この建造物を我等は護ってゆかねばならぬ」
 強く、貫く様なミナの眼差しに、二度と争わぬ決意を要求する意志を見た。
 もとよりそのつもりの、その為の年月、確と頷き返す。もしも手を出して傷付けるような事があれば、その時は恐らく壊滅に追い込まれるのだろう、とミナの瞳にその自信を見ながら。