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 闇に浸るように灯りも点けず、低い椅子に腰掛ける。飾り気のない部屋はいっそ潔いほど殺風景で、生物の気配を感じさせない。冷たささえ漂うその空間が、真空の闇を想起させる。その闇に沈んで天地無く漂う感覚に、彼が思うのは地上の宝玉だった。
 基地のある国をその視察も兼ねて訪ねる作業は、既に終わりの方が近い。議長の意向の趣旨を汲んで、基地も全体に縮小させ、必要に応じて用地の返還を調整する。拡大に比べれば反応は穏やかとはいえ戸惑う声もあり、作業は異質な困難を含んでいた。
 疲れてはいる。その、一様に“意外だ”と言わんばかりの驚く顔に。
 確かに、データに残る自分も彼等の知る自分も、力を振り回す武断の者なのだろう。だから彼等は、拡充こそあれ縮小など以ての外、と決め付けたのだ。恐らく、その拡充を安全保障の計算に含め、軍備提供を試算し、実行した。あからさまな戸惑いにその腹の内が窺える。
 ずっとそうして来た。だからそれも仕方がない、前任者が人的資源の損失を制度と組織の合理化で穴埋めした、それを段階の一つと考えるのも。だが。
 繰り返すのは、いい加減愚かだろう。
 胸の内に溜息を吐いて、変わらなかった、変わろうとしなかった世界の片鱗をなぞる。それは流れるように自然で安易だ。容易に肥大して争いを生む。
 ――大きすぎる力は、また争いを呼ぶ!
 あの声は道を示していた。身勝手な感傷で傷付けるよりずっと前から。
 ――正しいと思うよ、一番大変だとも思うけど。
 そう言った彼は、国を越えて流れを堰き止めている。彼女の父を肯定したその声は、彼女がその道を歩む一助となり、それを支持した。流れに逆らう彼女達と、それに続く者達を支えて世界を巡る。
 世界は変革を始めた。
 望む流れは……
 脳裏を過る金色の影は、懐かしい温度で平和を語る。その国の理念と、その父の遺志と、自らの望む世界。
 ……自分に出来る事は。
 ミリアリアの語った彼等の動向は既知のものだったが、その言葉は耳に憑いて思考を占拠した。そうして動く世界を、見ているだけで終わるのか、一端を担うのか。願いなら、答えは簡単だ。それはとうの昔に決めたこと。
 争わずに済む世界を築く、そのために先ず大戦を呼んだ思想を排除する。そう思い定めて宇宙へ上がって来た筈だ。
 けれどもそれは予想以上に血生臭かった。所詮、血塗られた道、と思いながら、血に塗れていくことを割り切ることが出来なかった心は迷う。その罪深さを、新たな秩序に持ち込むことは憚られた。血を流すことを厭うて平和を目指した筈なのだから。血の臭いの染みた手で世界の形成に携わるなど、あっていい訳が無い。
 けれどキラは言うのだ、それが雪ぐことになるのだ、と。穢れた訳ではない、望む世界を造るための必要悪だった。だから、そこに居るべきだ、為すべきだ、と。
 そしてミリアリアは言うのだ、世界を変える願いが託されているのだ、と。
 それは枷のように圧し掛かる。託されたというよりは、果たしていかねばならない、そうすることを期待され、求められている使命。
 理解はしている。ただ……
 そして唐突に息を吐く。結局いつもこんな風だ。解っているのに承服しかねる。自分の思考を越えて遥か向こうを目指す彼等の、その意向を受け容れることが出来ない。
 我儘だと思う。それはエゴなんだ。
 受け容れるべきだと諭された。あるべき姿は今の姿ではない、と。自分でもそうは思っている。だが、それは自分の考える義とは違うのだ。義の基準を打ち崩すことは容易ではない。それに従って未来を決めて、他の選択肢など思考の隅にも無いまま歩いてきてしまったのだから。
 ……そうやって駄々を捏ねている。
 罪の意識に二の足を踏み、要求と期待に躊躇して凝り固まった。納得出来ない、だから動けない、そんなのは子供の理屈だ。
分かっているのにな。
 自嘲の笑みが胸の内に広がり、口角に滲んだそれは昏い瞳に光を燈す。義を押し通せば、自分はいいだろう。自らを裁き、課した制限を淡々とこなして満足する。
 けれども。
 それは漫然とした歩み。浪費とも呼べる。本当に満足か、と問われれば即答は出来ない。
 なら。
 赦す、というのなら。
 解放を望む、というのなら、応えるべきなんだ。
 依然、世界がこの名に父を見る現実に、苛立ち苦しんだとしても、それは超えてゆくべきもの ――あの声は、逃げるな、と言わなかったか。
 ゆっくりと立ち上がる。懐かしいあの鮮烈な陽光を思い出しながら灯に手を伸ばした。瞬時に暗がりを照らす光が瞳を射す。図らずも閉じた瞳に、アスランは定めた思いを呟いた。