5

 戻りかけた通路で出くわしたのは、一番会いたくない人物だったかもしれない。
 その声のトーンは無機質な通路に忌々しいほど不似合いだった。先程まで目の前にしていた銀髪とは正反対の赤い髪。無邪気に笑う彼女に、僅かに眉根を寄せた。
「こちらにいらしたんですか?珍しいですね」
 彼女の気安さに曖昧に返答した。まともに取り合う気持ち的な余裕は無かった。
「さっき電文が来てました。派遣先、決まったみたいですよ」
「そう」
 停戦の声を聞いた彼らは、戦争の痕を消しに行かねばならない。どうせまた月軌道なんだろう、とそっと溜息を落とした。
「あの……」
 躊躇いがちに小さく呼ばれて見返すと、肩を窄めて捨て猫のような目で見上げてくる。思わず目を逸らした。
「何?」
「……今度はアスランさん、戻ってくるでしょうか」
「来ないよ」
 キラは即座に硬い声で答える。メイリンの肩がびくりと震えたのが見えた。
「君の方が知ってると思ったけど。連絡とか、取ってるんじゃないの?」
 自分でも驚く程、叩きつけるような平板な声が出る。メイリンは泣きそうな勢いでみるみる表情を曇らせて、俯いた。
「いえ……あれ以来何も。全然連絡つかないんです。メールも返って来てしまうし……」
 完全に顔を伏せてしまった彼女を見据えた。そうなんだ、と胸のうちに呟く。
 今まで持っていた連絡手段を全て捨てたと見るのが妥当だろう。戻って来ないつもりで、戻って来れないことを知っていて、行ったということか。やっぱり何か不味いことを、後ろ暗いことに係わる何かをしようとしているのか。
 兎に角、本当に泣き出しそうなメイリンに何か言ってやらないと、と思い直す。
「いろいろあるのかもね。本部にいるらしいから。イザークがそう言ってた」
 はっと顔を上げたメイリンは、本当に驚いた顔をしていた。鳩が豆鉄砲を喰らった、てこういう顔なのかもしれない、と不覚にも微笑む。そんな自分に腹が立ち、そのまま会話する気にもなれず、じゃぁ、と言ってキラはその場を離れた。


 確認してみる。全ての糸口へ接触を試みるが、案の定、何処も切れていた。
 脱力して、少し呆然となった自分に気付き、キラは少し嫌悪を覚える。分かってたことだ。そう言って嘲う。椅子の背に体を預けて、ぼんやりと上向いた。靄の中に浮かぶ言葉を投げ付ける手段は無い。幾つか悪態を吐きながら天井を見上げた時だった。フラッシュバックのように記憶が浮き上がる。あそこは?
 一つだけ、通じるかもしれない場所――
 キラはキーを叩いた。幾つもの鍵を開ける。扉は思ったより容易に開いた。 勢いで書き付ける。
   ――青の翼から赤の騎士へ
          何処へ、行くつもり?
 書き終えて嘲った。それを知ることに何の意味があるのか。馬鹿馬鹿しい、と思った。でも、そうしなければ気の済まなかった自分を認める。羞恥に扉を閉じてそこを去った。
 それに応える一文が書き込まれたのは、それから数分の後だった。
   ――赤の騎士より青の翼へ
          父の家へ。道を、見付けたから。

 父の家――その文字を眺めながら反芻する。カガリに連絡を取るつもりが、ふらりと寄ったそこに文字の羅列を認めて立ち止まってしまった。
 思いも寄らない単語にその意味を図りかねる。文脈を慮れば見当は付くものの、疑問は尽きない。確かめたい事も訊きたい事も有り過ぎた。
   ――捜したよ。そこで何をするつもり?
 言い募りたいのを抑えてキラは問う。予期せぬ答えが返ってきた。
   ――掃除だ。模様替えもしようと思っている。
 呆気にとられて文字を眺める。それはあまりに突飛に思えた。なんて呑気な、と哂って真意を探る。 友が足を踏み入れようと開いたその戸口に覗くのは、深く黒い闇。なるほど、戻っては来れないかもしれない。ならば、言わなくては。
   ――何故、今?後でもいいんじゃない?
   ――気付いた時が最善の時だ。
 その文字に硬さを感じてしまうのは、そこから決意を読み取ったからか。もうすぐここも切れるのだ、直感的にそう思って腹の底に重く沈みこんだ鉛を書き付ける。
   ――獅子の子は黎明の子を迎える。  それでも、帰るの?

 その問いの答えが返ってくることは無かった。