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 上手く纏めているように見えてはいても、そんなものは外面を繕っているだけ、とラクスは思う。
 ただ単に、これだけ疲弊した状態で更に戦うことはできない。だから、コロニーの長は停戦のために動いている。ラクスにはそのように見えた。
「ですが、それを利用するのも一つの手段では」
「ええ、そうですわね。分かっています」
 オーブの代表と個人的にも親しいという理由で地球とのパイプ役を任されているラクスは、そんな最高評議会の在り方が気に入らなかった。
 積極的に和平を望まない、その態度が。
 国力が回復しさえすれば地球圏を圧倒できるだけの力を持てるとでも思っているのだろうか。それとも、もう何かを望むその気力も持てない程、疲弊してしまったのだろうか。取り敢えず、講和条約を締結するまではそれでもいい。けれど、もし、まだ力によって鎧うことを善しとしているなら、それではいけないと感じている。
 ――また力に頼る世界が出来上がってしまう。争いを呼ぶ、世界が。
「でも、その意識のままでは、また歴史を繰り返してしまう。そうではありませんか?」
「まぁ……それはそうかもしれませんけど」
 答えながら、男は頭を掻いて赤茶の髪を揺らした。
「私達は少数です。その上、増えることを望めない。更に強い力を求めることになりませんか?
 もっと大きな争いを呼んでしまいます」
「では、どうするんですか? 洗脳でもします?」
 軽く揶揄するような口調にラクスは笑う。
「そうですわね。それも良いのですけれど」
 ぎょっとする男を尻目に、思案顔で顎の先に指を当てた。
「利用するなら、徹底的に利用しましょう。また働いて頂かなくてはなりませんわ、ダコスタさん」
 ちらりと投げる視線は柔らかだが、選択の余地を残してはいない。溜息を吐いて了承の意を示す男にラクスは不敵に笑んだ。


「くそっ 」
 議場を出るなり小さく吐き捨てて、前のめりに歩く。靴音も高く大股に歩く先の当てなど無かった。誰にも捉まらぬよう、誰にも邪魔されぬよう、歩みを速める。
 やがて壁に突き当たると一方から陽光が差していた。引き寄せられるように足を向けると、小さなテラスに出る。絶え間なく注ぐ陽光に一瞬目を灼かれた。やがて眼前に緑の潅木が乱立するのが見えてくる。小さく息を呑み、長く吐いた。
先程までの議論が思い起こされる。そのままずるずると反芻を始めた。
 この講和条約の為の主要国会議はしかし、軍事力に頼ろうとする大西洋連邦と、力を抑制しようとするオーブと、その二軸を中心に頑ななまでに相容れようとしない主張で牽制しあう争いの場であった。続く平行線に半ば意地になって主張を繰り返し、歩み寄りの道を見ようとさえしないそれに、自然、溜息が出る。キラに吐いた嘘が、刃となって帰ってきたかのように胸を裂いた。戦火の影響を受けたようには見えない木立が苛立った神経を逆撫でする。
「こんな環境にいれば、その力が脅威であることにすら気付かない、か」
「確かに実態としては分かっていないのだろうな」
 突然の声にぎょっとして振り返り、溜息を吐く。
「……キサカ 」
「あまり不用意に動かれては困る。自国が議長国なら兎も角、非礼にもあたろう」
「そんなものか」
 沈黙を答えに肯定の意を示すキサカに、ただ憮然とした。まるで叱られた子供が拗ねるかのように、それを従順に聞きながら、表面で己の矜持を掲げている。もう、こんなことも終わりにしたい。終わりに出来ると思っていた、あの時は。
 引き込まれそうになる虚しい痛みを、意思の力で引き剥がす。ぐっと目を閉じてゆっくりと開いた。
「自分達は無関係でいられると思っているのだろうか……」
 ぼそりと呟く。目で問うキサカに緑に目を遣りながら答えた。
「いつか人はこの戦争を忘れて、憎しみに駆られその力を使おうとするかもしれない。その時、彼等は民を守れるのだろうか。国を守ることが出来るのか? この緑だって一瞬で吹き飛ぶのに、何かのゲームのプレイヤーのように動かすだけ動かして蚊帳の外にいられるとでも?! 自分達が無事なら、民がどんなに危険に晒されようと構わない、て言うのか?!!」
「カガリ。  落ち着け」
「……すまない」
 声高になる語尾を窘められて視線を下げる。気まずさを苦く噛んだ。さっきもそうだった、と心を濁す泥を嗅ぎ取る。憎しみの連鎖を語った父を思い出してしまうから、つい激昂してしまう。
「義が常に正しいとは限らない」
 穏やかな口調が諭すように響く。静かに葉擦れの音が混じった。
「え?」
「例え、誰から見ても正しいことでも、義に過ぎればそれは意味の無いことだ。それに、物事には幾つもの面がある。正しいことが、どんな場合にも正しいとは限らない」
 思わず振り向いてカガリが見据えたのはキサカの横顔だった。梢を眺めるその横顔に幾つかの場面が浮かんだ気がしたが、それは混沌としてすぐに融けた。それでも、その云わんとするところは解った気がする。その目で静かに頷いて踵を返す。
「カガリ」
「そろそろ時間だろう?」
 来た道を歩き出す。数歩行ったところで後ろから追ってくる気配を感じた。無言で歩きながら、一足毎に凝り固まったものが緩むように感じる。
 そうだ、自分は。
 宇宙で見た灰色の機械、砂漠の地下、国を焼く火、深海の要塞、飛び立つ翼。
 知っている。どれも正しくは無かった、でもそれが無ければ自分は此処に居なかったかもしれない。ふ、と笑みが漏れる。
「ただ厭うのも愚か、か」
 開かれた扉の前でくるりと振り返り、二歩先のキサカに笑む。足を止めたキサカが少し驚いた顔をした。
「私は物を知らないな。いろいろ見てきたくせに、それだけだ。視野が狭くて……これでは嘲われても仕方が無いな」
 互いに失笑する。目を細めたキサカに目礼して前を向き、カガリは一歩踏み出した。
「若さを侮られぬように、な」
「努力する」
 そっと笑って背を向ける、その背中が頼もしく見えた。 
 ―― 大きく、なったな。 そう呟いてキサカは寂しそうに笑った。