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 地球圏主要国会議は一応の進展を見て閉会した。少しの歩み寄りと妥協を足懸かりに、どうにか形が出来ようとしている。
 朝のうちに帰国したカガリが邸に戻ったのは深夜と言っていい時刻だった。 自室の扉を後ろ手で閉め、深く息を吐く。そこへ気力も落としたように、力無く歩んでベッドの脇で膝が折れた。引き寄せられるように寄り掛かる。その柔らかさに安堵して沈み込んだ。闇に薄く月の射す窓辺は、変哲の無い夜を刻んでいる。寂しいほど飾らない部屋が強調する孤独が痛かった。程なくして聞こえた扉の開く音に気配を探る。
「姫様」
 静かに響いた声に、呻くように返事をして僅かに頭を動かす。ふと点った灯りに一瞬辛そうに目を瞑った。それから薄く目を開けて、それ以上動けないというかのように目線だけ送る。足音が近付くのをただ聞いた。
「お疲れなのはお察しいたしますが、そのようなところへお座りになられては」
「分かってるよ。ちゃんとする」
 溜息交じりに言葉を遮って、重そうに腰を上げる。そんな様子にうっすら苦笑いしてマーナは手を差し伸べた。
「お行儀のことではありません。お体に障りますよ」
 伸べられた手を取って目を上げる。今度はカガリが苦笑いした。
「マーナ。からかってるのか?」
「いいえ。大真面目ですよ」
 椅子に体を投げ出して大きく息を吐く。ワゴンを寄せてマーナが淡く溜息を吐いた。 ワゴンに乗せられたポットの口は、温かな湯気を上げている。
「もうお一人の体ではないのですから……お気を付け頂かないと」
 伏目がちにしてちらりとカガリを見ると、マーナはポットの中身をカップに注いだ。ふわりとカモミールの芳香が漂う。力無く笑んでカガリはカップを受け取った。
「大袈裟だな。私が私だけのものじゃないのは今に始まったことじゃないだろう」
「ええ、そうです。でも、今はそれだけでは無い筈ですよ」
 はっと顔を上げてカガリはマーナを凝視する。マーナは柔らかく笑んで視線を返した。
「そろそろ窮屈でしょうから、首長服はウエストを出させていただきましたよ。礼服は今しばらくお待ち下さいませね」
 目を見開いて硬直するカガリにマーナは変わらず笑んでいる。闇は窓辺に静かに沈殿していた。何から言い出そうかと焦燥するカガリを黙して見守る。あちこち視線を彷徨わせ、やがてカガリは顔を赤くして俯いた。
「え……と。 どう、して、知ってるんだ?」
 悪戯を見つけられ咎められる子供のように、様子を窺うような上目遣いでばつが悪そうに呟く。
「身の回りのお世話はずっと私がさせて頂いているんですよ?様子を見ていれば分かります。どんなことがあってもきちんと来ていた方が、どれだけ来ていないんです? 心配だから診て頂こうとマーナが言ってもお聞き入れ頂けないし、お医者様を避けるようにご公務をお入れになるし、……理由をご存知なのだと。そして、明らかにしたくない」
「まずいだろう? 明らかになったら! 式の真似事はしたが結婚もしていないのに、子供、なんて!」
 荒げた声とは反対に泣き出しそうな顔でカガリは食って掛かった。マーナが静かに答える。
「結婚ならなさっていますよ。カガリ様はユウナ・ロマ・セイランの妻です、書類上は。まぁ、過去形ですけれど」
 え? と小さく呟いた。身に覚えが無い。一瞬瞠目する。強調された“書類上”の言葉が耳についた。
「そういうところは抜け目の無い方だったようですね」
 勝手に書類を作って提出したという訳か、と思い至って、自嘲気味に笑う。
「成る程。やりそうなことだな」
「第一、処置しておられないのなら何れ明らかになること。今でも、先でも、大騒ぎになりますよ」
「ああ。でも今は駄目だ。ただでさえ侮られるのに……この戦争を終わらせることだけはやっておきたいんだ、この手で」
 ああ、と得心とも嘆きともつかない溜息を吐いて、マーナは何ともいえない顔をした。真っ直ぐに見つめられてマーナは仕方ないという態で微笑んだ。
「仕事熱心なのも結構ですけど、程々になさって下さいまし。倒れでもされないかとマーナは心配で、心配で」
「分かった、気を付けるよ」
 軽く笑いあった。夜は静かに朝へ傾く。