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「ええ。では、また」
 静かに微笑む彼女の声が終話を告げた。戸惑った足を進める。彼女の背を追い越して机上に書類を並べた。
「あら。いらしてたんですの?」
「うん、今ね。ラクスこそ、なんでエターナルに? ていうか、なんで艦長室に?」
 手元に注いでいた視線をようやくラクスに移して問う。
「ここが一番安全ですから」
 ああ、と息を吐く。クライン派の擁する通信技術は折紙付だ。それが遺憾なく発揮されたこの艦の通信系統は、どんな機密にも耐えられるだろう。
「もしかして、カガリ?」
「ええ。お元気そうでしたわ。懸案も大分片が付いているご様子でした」
<  にこりと笑むラクスに、ふぅんと気のない返事を返した。
「つまらなそうですわね、キラ」
「別に。……でも、そんな事務的なことなら、ここじゃなくてもいいんじゃない?」
 語調が少し硬い。快く思わなかったことは明白だ。軽く失笑する。
「それだけを話していたわけではありませんわ。友人として、他愛の無いお話もしたいですもの」
 淀む空気を揺らすように立ち上がり、静かに歩み寄る。影が並んだところで声を低くしてキラが尋ねた。
「本当にそれだけ?」
 僅かに目を見開いてラクスは首を傾げた。あたかも質問の意味を取りかねているかのように。
「ええ。ある意味機密に触れるようなことも、無いとは言えませんから」
「まぁね……」
 溜息混じりに言って視線を落とす。肩を落としたキラを悪戯な笑みで覗き込んだ。
「私もキラの真似をして、あちこちからお話しいたしますわ」
 言ってラクスはくすくす笑った。瞬間憮然として見返し、キラはふと笑みを漏らした。
「……参ったな」


 ログは全て消去したはずだ。どんな修復もかけられないように、幾度も確認をした。
 それでも不安になるのは、その対象がキラだからなのだろう。本気になれば何でもやって退けそうな気がする。何かに感付いた風だった……そう思い返して振り返る。扉の前で別れた背中が見えた。
「ごめんなさい……今のあなたには、言えませんわ」


 それは薄暗い空間で、時刻の感覚を失っているようだった。幾つか四角い影が並び、無機質な室内の様子が浮かぶ。一角でゆらりと濃い黒が揺れた。曲線に囲まれた黒が二つ、距離を置いて並ぶ。何事か話している様子で時折僅かに揺れる。
 静かな、ごく静かな空間だった。
 長い間、二つの黒はゆったり揺れていた。そこで揺り合うよう定められた人形であるかのように、静かに僅かな揺れを繰り返していた。滞留する空気の重さが静寂を助長する。
 不意に一つの黒が立ち上がった。ややあってもう一つも牽かれるように立ち上がる。
「しかし、大それたことを考える方だ」
 その影はにやりと笑う。
「そうでしょうか」
 静寂を揺らさぬよう、もう一つの影が密やかに答える。
「私の知る、以前のあなたからは想像出来ないことだ。随分と変わられたご様子だな」
 僅かに俯いた影は少し小さく見えた。
「……いろいろと学ばせていただきました」
 ふむ、と真っ直ぐ向き合う影を見据える。
「良い事だ。名を負うことの意味を知ったことは大きい」
 小さく身動ぎした影は僅かに顔を綻ばせた。
「はい」
「良い出会いがあったようだな」
 影は再びにやりと笑った。対する影が動揺する様を愉しむかのように。
「その件、相分かった。微力ながら力を尽くさせて頂く。その名の通り、新たな時代の黎明とならんことを」
 影は動いた。振り向かず歩き出す。
「宜しくお願いいたします」
 慌ててかけた声は届いたかどうか分からない。下げた頭の中で、何かが引っかかっている気がした。が、それが何かは釈然としない。やけに既視感のあるそれに、影は呆然と立ち尽くした。