馬車は時折跳ねる様に揺れた。
田舎道は舗装されることなど無く、踏み固められた土に石が転がり、掘られた轍は道を波打たせている。がらがらと派手な音を立てて回る車輪はその波を忠実に伝えていた。
カガリはその波にうんざりしながら、ちょうど目の高さにはめ込まれたガラスの脇に頭をつけて、その外へ目を向ける。
多くを求めることのない田舎の村は滅多なことではその様相を変えない。そこに広がる景色は見慣れたそれのままだった。
「……変だな」
姿勢を崩すことなく呟く。そんなカガリの隣に身動ぎもせず人形のように座った男が目線だけを動かして音を発する。
「何がです?」
「人を見ていない」
ああ、と得心したように息を漏らして外に目を向ける。
「そういえばそうですね」

lacrimoso  / 3

町へ続く道は村落を貫いている。どこか寂れたような雰囲気の家並みは、それでも平素は人々が行き交い、生活の温度で活気を纏っている。
今日は、それがない。
人の姿は一人として見かけない。路地にも家並みの死角にも人の気配はなかった。道端で遊ぶ子供達も、家畜が日を浴びながら草を食む様子もない。
不審に思いながら村落を抜け、町外れの工場へ乗り入れる。
場内は普段と変わりなく、軽い喧騒と混ぜ返される乾いた空気に満たされていた。
何の異変もなく見えるそれにカガリはアスランを呼んだ。
「村の様子が気になる。探ってきてくれないか」
「お一人で大丈夫ですか」
細く目を開いて冷ややかな視線を注ぐアスランを見据えてカガリは重ねる。
「こちらは大丈夫だ、勝手は知っている。行け」
「……かしこまりました」
手を胸に当てて軽く頭を下げるとアスランは踵を返した。その背中を上から睨みつけるように見送ってカガリは事務棟へ向かう。軽く溜息を吐いて瞳を凍らせたのは同時だった。

定例会議は滞りなく進行した。新しい工場長は無難にやっているらしい。ラインは普段通りに動き、生産効率も落ちてはいない。大きな混乱もなく、次の商品の開発に取り掛かっていた。
「試作が上がったら見せてくれ。子供の目と手で確認する」
強請るように手を差し出すと担当者が苦笑する。曖昧に頷いたのを見てカガリは立ち上がった。
すると、大人達は一様に神妙な顔をしてカガリを見る。立ち上がり頷き合ってこう言った。
「これは我が社とは関係ないのですが……隣村で妙なことが起きてまして」
「なんだ?」
訝しげに問うと大人達は顔を見合わせて僅かに躊躇う。その様子にカガリは眉を顰めた。工場長が声を上げる。
「家畜が、殺されるのです。毎晩引き裂かれて」
「初めは一頭、二頭だったのですが、このところ五、六頭一辺にやられているようで」
「村の者が今朝から押しかけて来て、何とかしてくれ、と騒いでいるのです」
「工員には隣村の住民もおりますし……こんなことを言うのも何ですが、何とか出来ませんか、領主様」
畳み掛けるように話し出した大人が、はっとしたように口を噤む。それもそうだろう、自分達が今、救済を求めて見詰めている相手は見下ろす丈のほんの子供、未だ12にしかならない少年(にしか見えない少女)なのだから。
しかも事は残虐性を含み、到底子供に話してよいものではない。
自らの言葉に戸惑う大人達のその様子に胡乱な視線を巡らして、カガリは不機嫌に言った。
「……子供では話にならない、という貌だな。今は執事も不在だしな、何が出来るものかと思っているのだろう」
「いえ、そのようなことは……」
「心配するな。あれには村を調べに行かせている。もう戻ってくる頃だろう」
安堵するような息が口々から出て小さな動揺めきを作る。それを聞きながら大人達に背を向けた。
ーーこれでドレスの裾をひらつかせてでもいたら、あからさまに侮蔑するんだろう。
お前に用はない、とばかりに。
ふ、と息を吐き僅かに笑う。だからいいんだ、この格好で。必要なんだ。と胸に呟いて忌々しげに瞳を閉じた。
子供、と馬鹿にするなら、成果を突きつけて無能な大人を嘲笑えばいい。大人達を振り返ることなく、玄関を目指して歩を進めた。背後で、大人達が慌てて動き出す気配がした。

門口には人影があった。人影は予想していた形を中心に林立し集団を作っている。
集団は幼い領主を認めてざわめいた。口々に何かを発しているが、音は混じり合って判別がつかない。軽く手を上げて中心にいる人物に視線を注ぐ。近づく毎に音は小さくなり、喧騒の後の揺らぎだけが残った。
「村はどうだ」
「良くないですね。住民の話によれば、夜中に家畜が殺されているようで、朝、引き裂かれているのが見つかるそうです。ですが、物音も家畜の断末魔も聞いた者はいません。村人は恐れて昼間も出歩かないようになったと言っています」
「おれたち、犯人を捕まえようと夜中に見張りを立てたんでさぁ。でも、出歩く奴なんて誰もいなくて。入ってきた奴もいないのに、朝になると山羊が殺されてて……訳が分からねぇ」
耐えかねたのか村人が口を開き一息に言う。その顔は青褪めて、家畜の屍骸でも思い出したのか歪んで震えている。
「家畜は既に三分の一が被害に遭っています。早急な対処が必要と考えますが」
「……そうだな」
表情一つ変えずに聞いていたカガリが、そのままの表情で答えた。
「実際に見るのが一番早いだろう。行くぞ」
その言葉に二人を取り巻くようにしていた村人と大人達が動揺めいた。一様に戸惑いと制止と忌避を示している。
「そんな!……領主様のようなお小さい方が見てよいものではありません……!」
工場長は怯えるようにして言った。カガリはにやりと笑う。その瞳は氷のように冷たく、激しい軽蔑を含んでいた。
「何とか出来ないかと言ったその口でそれを言うか。悪いが、私は事実を知らないで何とかする方法を知らない。今夜は村に留まらせて貰う」
じっとりと大人達を見据えて、それから更に笑った。くるりと身を翻すと村人に言った。
「そういう訳だ。邪魔をする」
息を呑む大人達を尻目にカガリは工場を出る。浮き足立つ村人を冷ややかに見て馬車に乗り込んだ。