人々は息を詰めて家の奥に閉じこもっていた。日暮れてからは赤子の声さえ聞かない。気配を消すかのように、身動ぎもせず肩を寄せ合ってじっとしている。
「なるほどな」
村長の屋敷の一室に陣取り、村の様子を窺う。
「今は家畜だけに留まっていますが、いつ人にまで手を出されるか分からない、と誰からともなく引き篭もるようになったのでございます」
「人の気配が無いわけだ」
村長は大きく頷いて身を乗り出した。
「ですから、こんな所においでにならず、もっと奥のお部屋へ」
「それでは真相が分からないだろう?」
カガリは薄っすらと笑って村長を見据えた。
「いっそ、厩に潜ませて欲しいくらいだ」
ぎょっとして身を硬くした村長を哂って、薄く開かれたカーテンの隙間から外を見る。
「せめて見える場所にはいさせてもらう」
はあ、と酷く戸惑った声を出した村長の顔には困惑が浮かぶ。窓の外の暗がりに畜舎が沈んでいた。

lacrimoso  / 4

夜の闇が世界を支配している。窒息しそうなほどの静寂が満ちていた。
とろとろと微睡みながら時をやり過ごし、邸内にひんやりとした空気が敷き詰められる夜半を迎えた。
「……そろそろか」
「来てもおかしくない時刻ですね」
半ば欠伸を噛み殺して座り直す。微睡んでいた瞳には夜闇の中の畜舎が見分けられない。
「村長は」
「ご家族と居て下さるようお願いいたしました。後々面倒ですので」
「……そうだな」
一つ伸びをしてカガリは目を擦る。カーテンの隙間には深い闇、深い群青の中に全てが沈んでいる。
「人、だと思うか」
「いえ」
短い問いは、答えが予想されていることを示唆していた。
「裂かれた山羊を見て参りましたが、見事に引き裂かれていました。あれは刃物による傷ではありませんし、刃物を使わずに二つに裂いたり首を落としたりなど、人に出来るとは考え難い。不可能だ、と申し上げてよいかと」
僅かに笑うと上目遣いにアスランを見てカガリは言った。
「……お前のようなヤツがいると?同類がやっている、と受け取れるが」
「それで構いません。不本意ですが、寧ろその可能性は高いと申し上げておきます」
溜息混じりに目を伏せてアスランは言った。すっと目を細め、カガリは不機嫌そうに眉根を寄せる。
「嫌な感じだ」

静寂は沈殿して闇を深くする。畜舎を見据えてどれくらいが経っただろう、無音の暗闇は時さえ止めているようだ。
闇を見据える瞳が乾きを訴える。それでも尚見据えると、ちらちらと小さく光が舞った。
ふと闇が歪んだ気がして目を凝らす。ぴくりと震えて弾かれたようにアスランが窓辺に寄った。
「来たか」
「そのようです」
カガリは駆け出して戸口へ向かう。そう距離は無いはずなのに戸を開けるまでがもどかしい。転ぶように辿り着いて、その勢いで扉を開けて外へ出た。
異様な空気が漂っている。
何か生臭い空気を嗅いだ気がして畜舎へ急ぐ。ばたばたばた、と大きな音がした。

びたん   べちゃ
ばたばたばたばた   ごと

異様な音に勢いよく戸を開けた。びし と戸に何かが飛んできて、後ろから戸口の影に突き倒される。
「何……!」
抗議しようと見上げた執事は赤かった。喉を出かけた言葉はそのまま消えた。闇に慣れた目に、それが血糊であることが分かる。
「ああ……避け損ねたか。酷い臭いだ……」
形だけ手の甲で血を拭って滴を地面に叩き付けた。アスランは僅かに歪ませた顔を畜舎の中へ向けている。
「随分派手に散らかしたな」
中からくすくすと笑う声が聞こえる。その音を聞いてカガリは跳ね起きた。ざわりと胸が騒ぐ。
「ねぇ君、悪魔?僕と同じ気配がするよね」
朗らかな響きにアスランは眉根を寄せる。
「お前も悪魔なのか。妙な気配がするが」
「君のような生粋の悪魔じゃないからね」
カガリはその声に引かれるように戸口へ近づく。
「な、に? からかっているのか?」
「そんなんじゃないよ。それよりご主人様は?一緒じゃないの?」
窺うような仕草にあからさまに嫌悪を表してアスランは畜舎の中の人物を睨む。
「カガリは、いないの?」
畳み掛けるような問いに含まれた名に驚きを隠せない。一瞬、硬直して拳を握りこんだ。
「なぜ……知っている」
「さぁ?どうしてかな」
「……キラ」
肩越しに聞こえた声に振り返る。カガリは棒を飲んだように突立って畜舎の中を凝視していた。
自分を通り越していく視線の元を見詰めてアスランは次の言葉を待つ。主は何と言うだろう。この人物に対して説明があるだろうか。
畜舎の中の人物は、嬉しそうににこりと笑った。
「なんだ、いるんじゃない。久し振り、カガリ」
「キラ!」
千切られた家畜とその血が撒かれた凄惨な畜舎にカガリは足を踏み入れる。血を踏む音が夜の沈黙にねとりと跡を付けた。