「なぁ、ステラ」
私室に退がって、就寝の準備を手伝う家女中に話しかける。
「あの組織に目を付けられているらしいんだ、私」
ぴくりと震えて、ステラはゆっくり振り返った。
「探されているなら捕まって、内側から潰すのもありなんじゃないか、と言われた」
「だめ」
ステラは即座に答えた。
「弟が、守りたいと言って来てくれた。きっと、守ってくれる」
「だめ。あぶない」
カガリの手首を握ってステラは首を振った。掴まれた手首に重なる手首には褐色の筋が幾つも残る。
その、痕を残しそうな力の強さに驚く。抑制されない真っ直ぐな制止。
「あの人は危険な感じがする。行ってはだめ」
震える瞳に見据えられてカガリはぎこちなく頷いた。
「わかった」
ステラの気迫に呑まれていた。

lacrimoso  / 8

「お前はどう思う」
一日の終わりを告げに寄った執事に問いかけた。ベッドに腰掛けて上目遣いに見据える。
「中心から崩す、というのもありだとは思うんだ。キラは守ると言ってくれた。一緒なら出来そうな気がする」
目を伏せて息を吐き、悪魔は言った。
「なら、お出来になるのでしょう」
薄く笑って一瞬だけこちらを見たアスランにカガリは問う。
「お前なら、やるか?」
「いいえ」
即座の返答に面食らう。真意を知りたくて何故、と畳み掛けた。
「彼は悪魔ですよ?その言葉、信用するのですか」
「お前だって悪魔だけど、偽らないし、いつだって期待に応えてくれるじゃないか」
「それは私が契約に依って繋がれているからですよ」
その手を静かにカガリの胸に当てる。袷の隙間から差し入れて前を開いた。
「なっ、やめ……」
振り上げた手は掴まれた。浅い谷間の正中より僅か右、添えられた手の甲と同じ紋様を目にして息を呑む。
「その血で刻んだ契約の印、消えるまでは忠誠を。そう言った筈」
唇を噛んでカガリはその手を振り払う。くすり、と笑う声が聞こえた。
「だから別の場所に、と言ったのに。カガリがそういう態度なら、俺もお前の手を振り払うかもしれない」
意味を取りかねて睨み据える。カガリの剣幕とは裏腹にアスランは笑みの形の顔を向けた。
「契約を忘れられたのでは、こちらとしても都合が悪い。……ああ、その度に思い起こさせようか、こうして。」
再び手を伸べて胸に置く。踏み込んで膝を乗せられたベッドが軋んだ。その意図的な所作にカガリは凍る。貼り付けるように密着した掌が丘を撫でて硬く目を閉じた。
僅かに震え出した体に力を籠めて抑え込もうとするが、それは功を奏さない。かえって、変に力んで体が動かなかった。
アスランは重心を前に移動してカガリとの距離を縮める。動けないカガリはそのまま潰されるように後ろへ倒れこんだ。
乳房に置かれた手は、親指で刻印をなぞる。距離は0。耳元にその声を聞く。
「傷跡に印を望んだのは失敗だったな。見えないからといって忘れられては困る。俺が契約に依って繋がれているように、お前もこの印に依って俺に繋がれている。勘違いするな。隷従に見えるそれは善意なんかじゃない。ーー俺達は善意など持ち合わせてはいない」
身を起こしたアスランは、カガリの襟元を掴み、印を一瞥すると夜着を左右に引き裂いた。
「やっ 」
耳障りで不愉快な音にカガリは身を縮めた。発声出来たのはその一音だけ、予想外の出来事に思考まで凍る。
アスランは鼻を鳴らした。怯える様を嘲笑う。
小さな胸を夜気に曝して震える少女、その白い肌にくっきりと浮かぶ刻印に口角を上げた。
「逃げるでもなければ、叫びもしないか。まるで待っているようだな」
冷えた言葉にカガリは目を見開く。慌てて布を掻き合わせる手の動きはぎこちない。刻印に手を衝かれて縫い止められた。
「……穢してやろうか、望み通り」
「やめろ!」
滅茶苦茶に手足を動かして暴れる。拘束を解かれてカガリは身を起こした。
「望んでなんか……!」
その声は細く震えていた。自らの肩を抱きしめて蹲る。
「そんな状態で、組織に入り込もうというのか?……無謀だな。進んで贄になりに行くようなものだ」
アスランは震える少女を見下ろして嗤う。離れていく影をカガリは視界の隅に追った。
「……悪魔というものは虎視眈々と隙を狙っているものだ。まして契約もないなら、甘言は罠だと思うのが妥当でしょう」
かくり、と頷くように首を下げて俯いたカガリは、密かな嗚咽を漏らし始めた。
大きく息を吐いてアスランはもう一度カガリの身体に手を掛ける。新しい夜着を着せ、横たえて掛布を掛ける。
燭台を取って扉を開けた。
「では、お休みなさいませ」
もうカガリの表情は読み取れない。身動ぎもせず声を殺して泣いているのだろうと予測する。
閉めた扉に背を向けて、前髪を掻き上げる様に額に手を当てた。頭を抱えてでもいるような素振りの下で、アスランはにやりと笑う。
「忙しくなりそうですね」
静かな足音は闇に消えた。